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Shimoheiの独り言

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2006年07月28日
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カテゴリ:日常のできごと
今日は41歳の誕生日だった。
(お~、自分の年を暴露だ)
自分の誕生日を祝えることに感謝しよう、、。

先週の土曜日、友人が亡くなった。
あと3日で41歳の誕生日を迎えられたのに、
あと一歩で力つきてしまった。
彼女は私が埼玉に来て、長女が1歳のときからの10年来のママ友で、
年も同じ、誕生日も近いということで気が合った。
私が英語の先生という立場とは一切関係なく、
ただ普通の友達としてつきあってくれた友達で、
こっちに来てから、私の性格や私の弱さを知っていた無二の友だった。
「おばあちゃんになっても、ずっと友達でいられたらいいね」
そう言いあっていた仲なのに、
4年半前に彼女はスキルス性の胃癌におかされた。
5年後の生存率14%。
その言葉に愕然とした。信じられなくて、私が胃潰瘍になりそうになった。
「死ぬということ」をその時にとことん考えた。

彼女が胃の4分の3を摘出する手術をしてからが、
彼女にとってのガンとの闘いが始まった。
そして、私ができることを考えた。
抗がん剤の辛さ。毛が抜けるという苦しみ。
彼女が味わっている辛さを考えると、自分の嫌なことも
辛いことも、ちっぽけなことに思えた。
「がんばれ!」っていうことは簡単だけど、
「がんばんなくていい。辛ければ辛いと言っていいよ。
弱音を吐いてもいいよ。私は何もできないけれど、ただ辛い想いを
共有するから」
そう言って、励ましてきた。
彼女の辛いという言葉をたくさん聞いた。
かわいそうだと思いつつ、細くてもいいから長く生きて欲しい。
それが私の願いだった。
去年「ガンが転移しているし、もう抗がん剤をやっても、そんなに効果がないので、
生きられる時間を自由に元気に過ごしたい」
彼女がそう言った。抗がん剤はやめるということだった。
「自分がそう決めたんだったら、それがいいよ。
今まで良く頑張ったね」
そう言うのが精一杯だった。
彼女が熱を出すたびに、いつもいつももしかして、、そう思っていた。
そして、今年の3月。入院。
ガンが増殖して、口から食べられなくなった。
ただ、点滴で栄養をとる毎日。
それでも、生きることを諦めていなかった彼女。
どんどん痩せていくなか「少し液体なら口に入れてもいいという許可がでたの」
そいう言った彼女の笑顔が忘れられない。
入退院を繰り返しながら、モルヒネで痛みを抑えながら
がんばっていた。
長女と同じ年の一人っ子の娘のためにも、生きることに前向きに
努力していた。
ガリガリで、一度倒れたら一人で起きられないような姿になっても
生きることをあきらめていなかった。
7月に入って、彼女が退院しているからと家に顔を見に行った。
「夏休みになったら、私も少しゆっくりできるから、
私が運転してステラタウンに行こうね。車椅子をおしたげるから。
DVDを借りてきて一緒に見ようね」
彼女も「うん。大丈夫。車に乗せてくれるなら行けるよ。
DVDも見たいな」
それが彼女と交わした最後の言葉だ。
そのあとすぐに具合が悪くなって再入院になった。
それからは「今はお見舞いに来てもらっても話せる状態じゃないから、
よくなったら連絡しますね」
ご主人からのメールで最後はお見舞いにいけなかった。
最後は苦しみもなく静かに逝ったと聞いた。
亡くなった彼女に会いに行ったら、美しい顔で微笑んでいた。
恥ずかしいぐらいに号泣して、そして、無気力になった。
今年に入ってどんどん忙しくなって、彼女のことを思っていたのに
なかなか会いにいかなかった自分を責めた。
もっと支えになってあげられたかもしれないのに、、。
自分を責めて悔んで、喪失感があった。
斎場の関係で彼女の告別式が27日になった。
25日の彼女の誕生日には彼女は家にいられた。
シャンパンをもって、お線香をあげにお邪魔したら、
2人きりにしてくれて、2人で41歳のお祝いをした。
毎年お祝いをしていたからね。
彼女は美しい顔で微笑んでいた。
家族には弱音を吐かなかったけど、私には弱音を吐いていたんだ
頼りにしてくれていたんだということが、わかった。
私でも彼女の支えになっていたんだ、、、、。

なんだか、私もふっきれたような気がする。
悲しみ寂しさを乗り越えるというよりは、
悲しみ寂しさとともに毎日を精一杯元気に生きるっていう
ことだろうか。
とにかく、また、がんばろうという気持ちがわいてきた。
彼女が残したことを、私がかわりに頑張っていこう。
彼女の分まで生きていこう。
とても寂しいことだけど、彼女はきっとそばにいてくれる。
子供を残して死んでしまうという母の辛さ、無念さを考えると
生きていく上で出会う辛さなんて大したことがないように思う。
彼女の一番の心残りだった一人娘のことを見守っていけたらいいな。

41歳の誕生日。
気持ちを新たにして、自分の命のありがたさを心に留めて
明日からも前向きに歩いていこうと思う。

明日、元気に息子が参加した英語デドラマのことが書けたらいいな。















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最終更新日  2006年07月28日 22時43分45秒
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