哀しみについて・・・
ロデの事故現場を通りかかったら、水入れが割れていた。ちょっとショックだったが、小学校の前だったので、花以外は掃除して、片付けました。家では、毎朝水を新しくし、お線香を焚いているけど・・・。そんな風に過ごしながら、少しづつ涙しない事が増えた。「だめじゃない、ロデ・・・ あっ・・・ごめん、モナだったね。」そんな風に名前を呼ぶことは多いけど、大丈夫。こんな風に思えるのは、ここでいろいろな思いを書き綴り、皆さんから心のこもったメッセージで励まされたおかげです。またTさんやしんピと思い切りロデを思って、泣き明かした事。大の大人が一週間も泣き続けたんだもの・・・。随分すっきりした(苦笑)。哀しいと訴え、受け止められて、人は歩み出せるものなんですね。では、悲しみが「その瞬間」で停滞していたらどうかな?アルバムの写真のように『瞬間』が色褪せることなく心に残る。嬉しいことならいいけど、悲しみがそうなら辛いよね。世の中にはそういう人がいます・・・。そういう人って・・・記憶の引き出しと言うんですが、普段は意識して表面的には思い出さないようにしているのにキーワードが合うと『その瞬間』に戻っちゃう。喜びも、悲しみも、苦しみも・・・。兄さもそうです。兄さが悲しかったとき、私は自分の感情を優先して彼の気持を考慮する余裕がなく、「ロデの初七日が明けるまでは、喋らないでね」と彼の悲しみを日付けで区切って、封印をしてしまった。彼はうまく悲しみを表現できないってわかっていたのにね。私達の気持ちが少しづつ前に向いているのに、兄さはまだあの日のまま・・・かっては記憶を消す事で、悲しみを相殺していたのに、今回は悲しみを悲しみとして受け止めている・・・。彼の中では、すごい進歩で、ロデとの日々が育てたものでしょう。しんピのようにピッタリした言葉も態度も出てこない。それで素っ頓狂な事ばかり言ってるうちに、身体が悲鳴をあげたみたい。めったに熱のでない兄さがもう4日も高熱が出ている。病院に行って、インフルエンザの検査を受けたけど、シロ!たいした風邪ではないのに、熱が下がらず、頭痛が治まらないという。哀しいんだね・・・。兄さはとっても哀しいんだけど、兄さとピッタリあう哀しみ方を誰もしてくれないんだね。お母さん達の哀しみと同じ事ができないように、誰も兄さと同じ悲しみ方をしてくれない・・・誰も共感してくれないので、悲しみを消化できないんだね。それは辛いだろう・・・と思う。「どんな仔が来ても、ロデでなければならない!」という兄さ・・・。本当にロデが大好きで、ロデと過ごした時間と違う時間の過ごし方がわからないんだろうね・・・。『その瞬間』から逃げられない兄さには、時間が解決してくれるという事はありえないんだものね。『愛するものを喪ったという喪失感』を、『喪ったけど、新しい出会いがあった』と記憶を差し替えるしかないんだね。近いうちに、ロデとそっくりのクリッとした瞳の妹が来ます。手渡しのみ・・・というところ、ご無理言って空輸でお願いしました。せめて49日までは・・・と思っていただけに、複雑な胸中ですが妹が増えたからといって、ロデを忘れるわけありません。まだ幼いので、きっとモナも仲良くしてくれるでしょう。