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カテゴリ:祈り
有珠善光寺さんとのご縁は、不思議なところから繋がり 実家の両親から昔、洞爺湖の観音島のお祭りがとても賑やかで あった話から、繋がって行きました。 遠戚に当たる家が、洞爺湖の観音様のお世話をしていたそうで 円空さんが彫った仏像が観音堂に安置されていたのが、 盗難にあい、運よく仏像は戻ったのですが、 それを機会に洞爺湖の観音堂と弁天堂を管理されていた 有珠善光寺さんに納めたのが、遠戚のお爺さんであったと聞き そのことを先月末、善光寺さんへ行きました時にお話しすると お寺を案内してくださる方が、よく知っていてくださいました。 有珠善光寺は文献「新羅之記録」に記されていて 1613年松前藩主が夢のお告げで松前藩の祈願所として 再興したと、それは、現在”地蔵堂”の場所です。 その後、江戸幕府によって1804年に蝦夷三官寺の指定を受け 幕府の御用金によって現在の地に本堂・庫裏等が建設され 平成17年に200年の記念式典がありました。 蝦夷三官寺は、ほかに厚岸に”国泰寺” 様似に”等じゅ院” 蝦夷地における和人の定着をはかり、先住民族のアイヌへの 布教活動が目的と当時は鎖国のため他国からの侵略を防ぐため などがありました。 対応して下さいました副住職さんのお話から このお寺では、 「来るものは拒まず、去るものは追わず」が貫かれ 七世・八世・九世の住職は、アイヌ語で布教され アイヌの方との絆を深めたそうです。 そのお寺にて今回、お経を頂くこととなり 隠居されている先代住職さんが、お経の始まりの 鐘を鳴らしてくださり、正装した副住職さんが お出ましになり、今回の主旨のアイヌの皆さまへの お詫びと感謝と隠れキリシタンをかくまい、他宗教を 受け入れてくださった善光寺歴代の住職さんへの 感謝のお経をあげていただき 温かい心のこもったお説教もして下さいました。 今回の祈りには、今まで知らなかった遠戚の繋がりの お陰で善光寺さんとの対応もスムーズに運び、 ご縁のありがたさを感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月26日 23時55分14秒
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