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カテゴリ:祈り
円空さんが、蝦夷地を訪れたのは、 1666年、35歳の時です。 円空上人は、太平洋に面している豊浦町礼文華の 小幌洞窟に こもり5体の仏像を彫りました。 5体の仏像には、それぞれの背銘に 「ゆうばりのたけのごんげん」・・・・・夕張岳権現 「くすりのたけごんげん」 ・・・・・釧路岳権現(厳島神社蔵) 「たろまえのたけごんげん」 ・・・・・樽前権現(錦岡樽前神社蔵) 「うすおくのいん小島」 ・・・・・洞爺湖観音島(有珠善光寺蔵) 「いわやかんのん」 ・・・・・岩屋観音 この洞窟にこもって仏像を彫りました。 その後、1791年に旅行家・菅江真澄が、礼文華小幌洞窟を訪れ 仏像が安置されているのを確認され 1799年に 幕府の役人 松田仁三郎(後に伝十郎と改名)が、 駐在していた有珠で、巡回中にこの洞窟を再発見し 仏像の背銘のそれぞれの場所に納められました。 仏像が彫られてから133年後のことでした。 そのほかにも 北海道には”円空仏”が、存在しています。 そのひとつに奥尻島に面する瀬棚町大成地区”太田山神社”にも 険しい崖の上に”円空仏”が祀られていました。 ”円空上人”は、山岳修験道者でもあったため、 厳しく・険しい場所に身を置き仏像を彫られています。 熊石町の黒岩と言う、やはり険しい岩場で仏像を彫っていた時のこと 地元の民が、 「どうぞ 私の家をおつかいください」とお誘いしても 丁重に断られ、その場で黙々と”円空仏”を彫られていた。 ただ、地元の子供たちとの触れ合いを楽しんでいた様子も 当時の文書に記されているそうです。 私は、縁あって洞爺湖観音島の円空仏を昨年6月に拝観し 現在、有珠善光寺の境内にある有珠郷土館に収蔵されています。 同年9月には、瀬棚町”太田山神社”に参拝しましたが、 ここは、まさに修験道者の修行の場でした。 ただ、現在はこの場所に”円空仏”は、残っておらず 山火事などで消失したのでは、ないかと言われています? 今年7月に私の地元の苫小牧博物館の2階に展示してある ”樽前権現さま”にお目にかかってきました。 正面から観ると 丸みを感じ優しさと重厚感が、ありますが 側面から観ると 丸太を立て半分に割ってるため以外に薄い 感じがします。 それは、なんとも不思議なマジックを見ているような感覚です。 円空上人は、北海道の道南地区の渡島・檜山地区に 多くの円空仏を残し、三十数体が、現在確認されています。 木古内町の”佐女川神社”では、 例年1月半ばの数日間 町の若者四人が 神社にこもり、みそぎを行い、 最終日には、”円空仏のご神体の観音様”を若者が抱いて 寒中禊を行っています。 340年前に彫られた円空仏が、現在も私たちの身近で 大切にされていることを知り、幸せに感じます。 せせらぎがあつまり川になり、自然の命を潤す大切な水 しかし、水の力の怖さも充分に心得ていた円空さんだからこそ 日本の近畿から関東、東北、北海道にかけて 円空さんの水への祈りの想いを”円空仏”として表現し 行脚されたと感じます。 水の神 荒御霊の 瀬織津姫さまを 和御霊 観音さまの 力で調和する旅であったと感じます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月24日 12時08分43秒
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