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カテゴリ:祈り
福島県と宮城県の2泊3日の旅を思い返し 今更ですが、気付いたことがありました! 時空を越えて感じたことを記します 初日に訪れた ”天栄村” では、土偶の出迎えを受け 天栄村の東部を流れる釈迦堂川(広戸川)や竜田川などに ◎1万年前 までさかのぼり、縄文時代の狩猟中心の「桑名邸遺跡」 もあり ”縄文文化の中心地”を訪れていたのでした ◎大伴家持 百人一首の歌人の一人 ◎782年(奈良時代) 宇奈己呂和氣神社 祭神 瀬織津比売命 安積町に建立 陸奥按擦使・陸奥守と鎮守将軍を兼務し 宮城県多賀城に赴任 785年 陸奥にて没す ◎坂上田村麻呂 ◎796年(平安初期) 陸奥按擦使・陸奥守・鎮守将軍 797年 征夷大将軍に任命 804年 再び征夷大将軍に任命 ◎塩竃神社 820年(平安初期) 朝廷より厚い祭祀料の記載あり ◎源 義家(通称 八幡太郎義家) 1083年(平安中期) 陸奥守に任命 ※八幡太郎義家は、先月27日の松島ホテルの夕食時に 私の過去世が、八幡太郎義家と この地において縁が繋がった 女性であることが判明 (実のところ、八幡太郎義家と言う人がどのような人であったか この日まで 全く知りませんでした) ◎平泉 中尊寺建立 1105年(平安後期) 上記の名高い3名の男性は 朝廷より命を受け 蝦夷(エミシ)平定に遣わされた武人たちです 蝦夷(エミシ)とは・・・諸説がありますが ”縄文文化を継承してきた原日本人の一大勢力” そこに律令国家の体制を陸奥国に築くために遣わされ 律令国家の基盤は 米作りですが、 奥羽地方に古くから住んでいる”蝦夷”の人たちは 稲作に頼らなくても食料は確保されていました 縄文人が楽しく暮らしているところに 弥生人が、やって来て稲作のキャンペーンを 強行に遂行した感覚ですね 私は、縄文人と弥生人のせめぎ合った地に 千年後に訪れ 3人の武人たちが 陸奥守として生き そこに歴史が残ったことを感じたのです 奥州一宮 塩竃神社の桜 過去の埋もれた出来事 = 潜在意識の氷柱に 陽を当て その氷柱を融かし 光に戻す その旅であったと 感じ 全ての計らいに 感謝いたします ありがとうございます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月11日 01時40分55秒
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