巻貝は海へ還る
朝から都心に流れ込んだじっとりと重い潮気を含んだ霧は呼吸するものに微かな郷愁と大きな不安を抱かせた空を閉ざした霧の中を巨大な魚の群れが泳いだという者もいればシャンデリアのようなものがゆらりと揺れて飛んでいったという者もいた誰もが霧の中で不安を抱いたそのとき都心のビルが突然体をゆがませ始めた円錐に近い地上20階の複合商業ビルはゆっくりと反時計まわり渦を巻き始めた中にいる人々は押し潰されまるで細胞の一つになったように互いに結合し内臓となり肉となり皮膚となりビルの中を満たす貝となったビルの巨大なグランドロビーから窓ガラスを割ってぐんなりと肌色のぬらぬらした貝の足がひろげられたまだいくらかのみこまれた人間の姿が未消化のまま見えるなにかが呟いているさらに街燈のよう触覚がのばされた何百人もの人間で作った体をまるで蝋細工のようにねじったビルで包み貝は深い霧の中を海へ向かって這い進み始めたただ一直線に人間の作り上げたやわなものは押し潰しつぶせぬものは柔らかな足で包みこむようにして港から黒々とした波へ沈み窓にいくつもの人間の顔を貼り付けて貝は深い海へ還って行った