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期せずして、あらためてコーチングの「重み」を感じることがあった。
今日は、そのエピソードについてお伝えしたい。 以下、長くなるが、どうかお付き合い願いたい。 堤義明氏は非入籍の妻の子であり、創業者堤康次郎氏の三男である。 だからどうとかと言うことではない。 その世代の方々には(もちろん現在でも)そういった方々はたくさんいるだろうし、もともと近代社会の「家族制度」なる、言ってみれば「人工的なルール」に基づく捕らまえ方に過ぎない。 生まれてきた貴重な「命」、という事実があるだけだ。 何れにせよ、一般的に康次郎氏には5人の息子がいるとされ、長男は清氏(元近江鉄道社長、第一側室の子)、次男は清二氏(元セゾングループ代表、第三正婦人の子?)、三男が義明氏(第二側室石塚恒子氏の子)ということである。 康次郎氏は、この3人を始めとする認知していた7人(?)の子供達を、南麻布(であったか?)の大邸宅で一緒に育てさせたという。 それぞれの母親達がどのように暮らしていたかは定かでないが、この子供達の心境たるや如何ばかりか・・・。 表面的には「兄弟」と言え、唯一の絆である父親といえば事業や政治活動に夢中で毎日は姿を見せなかったというのだから、兄弟の間には微妙な距離感、緊張感があったに違いない。 実際、父康次郎氏に反発を抱く子も多く、長男清氏は勘当されたというし、次男清二氏は自ら父に絶縁状を叩き付けたという。。。 そうした中で、父親に理解を示した義明氏が堤家の「跡継ぎ」に、そして西武グループの「後継者」に指名された、というわけだ。 彼ら異母兄弟の3人、少なくとも清二・義明氏の2人は、成人し事業家となってからというもの、後継者争いもあり、ますます微妙な距離感を持つようになる。 これが、康次郎氏の死後から今に至るまで続いている「堤家の相克」である。 こうして振り返ると、「堤家の相克」は『妻代理戦争』とも言えるだろう。 康次郎氏健在中、義明氏の母「石塚恒子」氏は一度たりとも「堤」を名乗ることを許されなかったという。 康次郎氏逝去後何年も経ってから、母「恒子」が逝去した際、義明氏は新聞の死亡公告に「堤恒子:堤義明氏の母」として自ら指示して掲載させたという。 この時、死を以って母恒子は初めて「堤」を名乗り、義明氏は初めて父康次郎に背いたのかもしれない。 このように、康次郎氏の遺族の間では、それぞれの母親を「見えない心の旗頭」として、遺恨が満ち溢れていたのではないだろうか。 それは、本来、父親に向けられるべきはずのものだったが、父康次郎氏があまりにも巨大で権威に満ちていたがために、結果として、その死後に、言わば『妻代理戦争』として、それぞれの母親を心の支えに異母兄弟の間で繰り広げられてしまったのである。 そのように考えると、堤義明氏も、また、清二氏の何れも、やはり「淋しきカリスマ」であろう。 一人の人間としてのその生き様に思いを馳せると、情を感ぜずにはいられない。 「カリスマ」だ「帝王」だ何だと言われても、義明氏も清二氏も、その実は、『「情」に厚く「情」に生き抜いた「一人の人間」』に過ぎないのである。 人間誰もが、過去を背負って生きている。 まさしく、過去は変えられないが、未来は誰にでも変えられる。 「カウンセリングが人生の過去を扱うのに対し、コーチングは未来を扱う」ものである。 堤義明氏にも、そして、誰にでも「未来」はある。 私は、この、人の「未来」というものに関わっていきたい。 期せずして、コーチングの「重さ」を改めて感じることとなった。 「コーチングの重み」に一押し。⇒「人気blogランキング」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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