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2019年08月20日
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カテゴリ:生き方
​​​認知症の入口付近にいる母とデパートへ行った。

待ち合わせ場所を細かく確認してから出かけた。
けれど、全く姿が見えない。

まだ電車かもしれないと、確認メールを送る。

返信が全く無いので、電話をする。
「二階は服の売り場に変わってて、今、服の売り場に居る」。」と言う。

二階に服の売り場はない。
けれども、二階に居ると言い張る

性格的なものが大きいなと思う。

「自分が正しい」が動かせない人なのだ。
若い頃から、謝らない人だった。
今は、「相手が間違ってる」が全てだ。

もはや、発想の転換は不可能になっている。

​一緒に画廊の絵をみた。
風景画や写実的な絵を見ると、「これはまともな絵やな。」と言う。
他は遊びだと・・

次は、ウィンドショッピング。
服を見てもやっぱり同じ。
「これは、普通の格好や。」と言う。
変わったものは、すべて普段着だと言い張る。

真ん中の妹は、もともと自由奔放だった。
母の規格に全く収まろうとしないことが、母にはストレスだったらしい。
力ずくでなんとかしようと思うが、妹もかなり反抗的だった。

私も型にはまることが嫌いな性格だった。
母の許容範囲に入るものは許されたが、それ以外のことは自然に我慢して受け入れていたようだ。
30代後半に歪みの時期が訪れるまで、健全に過ごせたことは幸運だったと思う。

末の妹だけは、ごく自然に生きて来られたようだ。

私と真ん中の妹は、若い頃ずっと自殺願望を持っていた。
その理由がずっとわからなかった。

生きることの本当の楽しさを知ったのは、ごく最近のことだった。

二人とも、自分自身を生きていなかった。
ずっと母の意思を背負っていたのだ。

明らかに認知症とわかる母と行動しながら、一番ほっとしている自分に気付く。
母を別の人間として、少し冷やかに見ている自分が一番自然体だと思えてしまう。

もう二度と逢いたくないと思った時期もあり、実際に会わなかった。

今は母の存在が反面教師であり、母のお蔭で道が開けていくことに気付く。

親子の在り方もまた必然なのかもしれない。

​​​




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最終更新日  2019年08月20日 21時29分30秒
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