テーマ:暮らしを楽しむ(388454)
カテゴリ:生き方
特別扱いを望むわけじゃない。
誰にでも、できること、できないことがあるだけだ。 それなのに、大多数の人が当たり前だと思うことができないときだけ、冷たい視線が刺さる。 「障害があるから班長ができない。」 それだけのことで、自殺に追い込まれてしまうとしたら… 例えば、「班長ができないのなら、市政だよりだけ配ってくださいね。」でもいいのだ。 優しさがあれば、証明なんて必要ない。 人が人を思い遣る、ただそれだけで苦しみが喜びにも変わっていく。 できることに目を向けたなら、どんな人にも素晴らしい才能のあることにも気付くはず。 才能って、特別なことじゃない。 そこに居てくれるだけでいいことだってあるのだ。 ダウン症の娘さんが入れてくれたインスタントコーヒーの美味しさに感動したことがある。 障害があるのに…という意味では、無い。 彼女にある世界観が、色んな場面で生きている。 彼女は、袋から出したコーヒーに適量の湯を注いだ後、丁寧に泡立てるように混ぜてからコーヒーを出してくれたのだ。 同じコーヒーを自分でも作ったことがあったので、味の違いに驚いた。 それ以来、私は彼女を見習って、インスタントコーヒーを丁寧に入れるようになった。 私は、彼女に会うたびに何かを教えてもらっている。 私の子供たちも、決して標準とは言えない部分がいっぱいある。 二人とも人に迷惑をかけて生きているわけではないのだ。 それでも世間は、標準を求めてくる。 大多数の人と違うことが攻撃の対象になっていく。 「できない自分」と「できる自分」を 誰もがセットで持っているはずなのだ。 にほんブログ村 別窓で開きます 日常の小さなできごとを愛する生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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