テーマ:暮らしを楽しむ(388447)
カテゴリ:きらめき
木村盛代氏のTwitterの発言を追うようになって日は浅いけれど、毎回、その賢明さに驚いている。
なぜなら、この方の発言は、専門の医学に留まらず、日本経済のことに及んでも的を得ているからだ。 今回もデータについての効率的な提案である。 地方自治体が独自にこんな意見を柔軟に取り入れていけば、問題解決の早道になるんじゃないかと思う。 形式的なデジタルにこだわるよりも前に、デジタルのソフトの部分からどんどん活用していけば、デジタル化されていないこともスムーズにに運ぶのではないかと思う。 世の中で起こることも人も、何一つ不要なものがないはずだ。 それが自然の摂理だと思う。 ここからは少し別の話だけれど… 難聴の女の子が、歩道で事故に遭って亡くなった。 障害者だから、慰謝料は安くなるらしい。 生涯における収入が少ないから、損失も少ないということで… 人の命の値段が人によって違うというのだ。 命の重さが人によって違うというのだ。 たとえば、家庭の大黒柱を事故で失ったから、家族の生活が困るとか、そういうことなら、実際の収入に見合った分を、命の値段とは別に上乗せ分にすればいいのではないか。 実際に交通事故で怪我をした時は、そういうことになっている。 今の法律では、障害の程度によってそういうことが起こるらしいし、おそらく、専業主婦や老人の場合ももっと安くなるということなのだろう。 命の値段が将来的な収入によって変わる世の中って、果たして正常なのだろうか… 既存のものが正しいと考えることに、疑問を持ち始めている。 SDGsも、最も身近なところでこぼれ落ちる人が続出してる。 ワクチン未接種を理由に切迫早産での受診を断られ、流産した妊婦もそうだ。 ワクチンパスポート自体が、ワクチン拒否者だけでなく、他の理由で未接種で取り残される人への制裁になるだろう。 未接種の国へのワクチンの無料提供を拒んだ製薬会社も、三回目の平気で接種を平気で決行する先進国も、すでに途上国を見捨てている。 パラリンピック会場で起こった自動運転の事故は、障害者の集団に遭遇するという認識が元々ないらしい。それでも、何事もなかったように自動運転が再開された。 何のためのSDGsだろうか… SDGsによって、多くの経済的利益を得る人たちが存在していることだけは確かだ。 にほんブログ村 別窓で開きます 日常の小さなできごとを愛する生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月04日 21時53分23秒
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