2ちゃんねるからコピペ
107名前: 番組の途中ですが名無しです 投稿日: 2006/08/09(水) 01:49:25 ID:1QAlKNBb0 私には、兄がいました。 3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。 ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。) 勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。 バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。 苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。 たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。 とても、強かったので、大苦戦してました。 ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。 「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」 私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、 なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。 そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。 葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。 お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。 でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。 だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。 私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。 ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。 そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。 兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。 それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。 その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。 お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。 今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。 44名前: 番組の途中ですが名無しです投稿日: 2006/06/11(日) 16:59:55 小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。 でも、絵が上手な子だった。 彼は、よく空の絵を描いた。 抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。 担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。 冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。 N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。 私はN先生が大嫌いだった。 クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、 全校集会で先生のお別れ会をやることになった。 生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。 先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。 お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。 私は、A君の言葉を忘れない。 「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」 A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。 水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。 放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。 その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。 N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。