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テーマ:夫婦のつくりかた?!(456)
カテゴリ:大好きな人
アメリカはまだ5日ですが、地元広島はすでに8月6日の
セレモニーも全て終えているころですね。 たくさんの魂と、残された人々の心に 平安があることを祈ります。 こちらアメリカでの8月6日は、くしくも おじいちゃんの灰をお墓に入れる日となりました。 1年半前に既に亡くなっていたのですが、 研究に貢献するため大学に体を提供していたので、 今になって灰がやっと帰ってきたのです。 親戚達の都合上、たまたま8月6日になったのですが、 その日に鎮魂の儀式をやることに、 何かしらの意味を感じています。 こちらにきて、おじいちゃんの話もたくさん聞きました。 小学校のとき、「高校に行くんだ」と心に決めた彼は、 それから毎日親に頼んだそうです。 農家だった彼の家は、 中学までで十分だと反対したのですが、 小・中学校と、来る日も来る日も訴え続けた結果、 やっと親の許しを得て、高校へと入れたのです。 ただし、親が勝手に先生になるコースに申し込んだもんだから、 当時教師は女性の仕事だったため、おじいちゃんは ほとんどのクラスで唯一の男子生徒でした。 しかし、ここで多くの男性が出来ないタイピングを学んでいたため、 彼は戦時中、首脳部でライターとして働くことになり、 前線に送られることなく生き延びることが出来たのだとか。 人生の分かれ道は、 どこに現れてるかわからないものです。 戦後、占領軍として青森に2年滞在していた、 というのも初めて知りました。 おじいちゃんとおばあちゃんの仲の良さは、 私にとてもよいモデルとして残っています。 最期はぼけちゃって、 子どもや孫を認識できなかったけど、 おばあちゃんに対してだけは、優しい 眼差しを向けていたのをがとても印象的でした。 おばあちゃんのこともわからなくなってからも、 時々記憶を取り戻したときには "I can't live without you" (君なしには生きれない) と言っていたそうです。 ふと、正気に戻ったときにだけ、 恋人同士になる2人。 ほんの短い、愛する人との再会。 そしてやがて訪れる別れ。 すごく切なく、愛しいものを教えてくれました。 亡くなったときは、お葬式でなくパーティーをしました。 「おじいちゃんの一生を祝うセレモニー」として 孫達が歌を歌い、おばあちゃんはケーキを焼きました。 そうしてどんなに素敵な人生を送ったかをみんなで語り、 めいっぱいのお祝いをして彼の魂を送りました。 すごく素敵な終え方です。 悲しみも歓びも共有する命の祭典です。 自由で思慮深くて愛情がいっぱいだったおじいちゃんに、 明日、たくさんの祈りと感謝を捧げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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