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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.04.10
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​​​​​​​​​​​​ 中井久夫「アリアドネからの糸」(みすず書房)
​ 朝日新聞2018年5月19日の朝刊の読書欄で批評家の柄谷行人「中井久夫集」(みすず書房)第6巻「いじめの政治学」を書評していました。​​​​
                       ​「おっ、柄谷が中井さんの書評を書いてる。いいね。」​
​​ いつもは、むっつり、ゴソゴソ始まる朝がなんだか明るいのです。我が家では、同居人のチッチキ夫人と二人、中井久夫という、「すごい人」としかいいようのない人を「中井さん」とさん付けで呼んでいます。​​
 精神科医師で、神戸大学の医学部の教授をしていた人ですが、同居人ぼくも、ミーハーだけどファンです。
​ そのうえ、彼を論じている柄谷行人はぼくにとっては、ひいき中のひいき、信用している最後の批評家と言ってもいい人です。もっとも、お二人のように、頭の良すぎる人の明解は、凡才にとってただの晦渋にしか見えない場合も多いのがげんじつで、そこは、まあ、つらいのですが、しようがありません。​
 「今日の文章はわかるように書いてあるね。」
 ​「まあ、相手が中井さんだからね。」​
​ まあ、わかる人か見れば、トンチンカンもいいところの会話です。でも、ふたりとも朝から機嫌がいいのです。​
​​​​  ​書評で取り上げられた本は「いじめの政治学」でした。「中井久夫集(第6巻)」は、阪神大震災前後のエッセイが全集版として集められた本ですが、その中から「いじめの政治学」が取り上げられていました。。​​​​
​ 単行本でいえば、2005年に出版された「アリアドネからの糸」(みすず書房)と内容が重なっています。​                        ​​​​​

 いじめといじめでないものとの間にははっきり一線を引いておく必要がある。冗談やからかいやふざけやたわむれが一切いじめなのではない。いじめでないかどうかを見分けるもっとも簡単な基準は、そこに相互性があるかどうかである。
 鬼ごっこを取り上げてみよう。鬼がジャンケンか何かのルールにしたがって交替するのが普通の鬼ごっこである。もし鬼が誰それと最初から決められていれば、それはいじめである。荷物を持ち合うにも、使い走りでさえも、相互性があればよく、なければいじめである。
 鬼ごっこでは、いじめ型になると面白くなくなるはずだが、その代わり増大するのは一部の者にとっては権力感である。多数の者にとっては犠牲者にならなくてよかったという安心感である。多くの者は権力側につくことのよさをそこで学ぶ。
 子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家庭や社会の中で権力を持てないだけ、一層権力に飢えている。子どもが家庭の中で権利を制限され、権力を振るわれることが大きければ大きいほど子供の飢えは増大する。​​
 ​しかし、いじめを教える塾があるわけではない。いじめ側の手口を観察してしていると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。​
​​ この本を手にしたのは10年以上も前のことですが、一読、ぼくが心に刻んだのは「いじめの政治学」の論利展開ではなく、その展開に先立つ「いじめの教育学」とでもいうべきこの一節でした。​​
 教員をしている人間の多くは、ぼくもそうだったという苦い振り返りで考えると、子供たちの「いじめ」事件に、自分自身は何のかかわりも、ましてや、罪など全くないのに不運にも遭遇してしまったと思いたがるものです。ぼく自身も、実際そう思っていたように思います。
「いじめダメ」といったスローガンを張り出したり、集会で強面の生徒指導部長が、半分脅しのような訓戒を垂れたりして、「子ども特有の裏社会」「教育的」に牽制したうえで、面談と称して密告を奨励し、子供たちのネット通信をのぞき込んで秘密情報の収集に余念がないのが、残念ながら、実態ではないでしょうか。。​
 結果、子供の社会を、「教育的に」と当人は思い込んでいるですが、実は「権力的に」取り締まっていることに対する疑問は生まれません。教育委員会の重点課題として「いじめ撲滅キャンペーン」が叫ばれるのですが、教員自身の意見が互いに交換されるはずの職員会議で、議題に対する賛否の挙手さえ、校長によってあらかじめ禁じられている矛盾は放置されています。いや、ここ10年、どんどん深刻化してきたといった方がいいかもしれません。
​​​  教員たちのふるまいは一般的な社会常識としても異様で、フロムの言う「自由からの逃走」そのものなのですが、自覚がないのが特徴です。そのうえで、学校内での事件が、新聞やテレビに出てしまうような事態を、ひたすら恐れる感覚を管理職と共有することで、「まじめに考えている」と思い込もうとしています。​​​
 そんな中で、果たして、たとえば、ぼく自身も、その職場で働きながら自身の責任性について考える契機を持つことができていたといえるのでしょうか。
 そういう内省などとはとても言えない、ボンヤリな日々に読んだ中井久夫さんのエッセイは、いじめがどこからやってくるのか、教員がいじめの現場に遭遇するのは、決して偶然ではないということをさりげなく、遠慮がちに指摘していました。
 ナチスやスターリンの全体主義社会はいじめの温床だったが、現代の学校社会はそれと相似形とでも言うべき様相を呈していないかという、厳しい問いかけが、その穏やかな言葉のなかにあると、ぼくは思いました。
 その頃、ぼくの周りでも、若くて、素直な教員ほど、マニアル偏重主義におちいり、上から下への「やさしさ」を権力的に振り回す傾向がありました。もちろん、自分が「権力的」だと自覚することは出来ない不思議な穴ぼこに落ち込みます。なんとかする手はないのか、そんなふうにいら立っていたことを思い出します。
​ 私は学校などの現場で、この論文を読んでほしいと思う。のみならず、これはまさに政治学として読まれるべきである。人に見えないような「隷従化」が進行している時代だから。

​ と書評は結ばれていました。
 さすが柄谷行人です。彼が、現代という時代にたった一人で挑み続けてる批評家であるからこその一言といっていいとぼくは思いました。
 学校が教員を隷従化するシステムへと完全に変貌したときに、子供たちに何が起こるのでしょう。きげんのいい朝にやってきた、フトした不安が浮かびました。ちいさな、気がかりの始まる土曜日でした。(S)​
追記 2019/06/17
 サンデー毎日の老人は、自分の部屋でごそごそするのが日課なのだが、この一月、近所の小学校の運動会の練習が、朝一番から始まる喧騒の日々だった。昔ながらといえば、昔ながらなのだが、叱咤激励のつもりなのかもしれないが、男性、女性を問わず、「命令」という方がいい、いや、いっそ「罵声」と、いうべき口調が拡声器から聞こえてくる。
 似たような職場に何十年も暮らしたわけなのだが、横に座ってみると、大人たちの声にこもった「よくない感じ」に気付く。
「思わず、そういういい方はやめた方がいいよ。」
 そんなふうに思うことが、毎日ある。スピーカーで拡大した、その声を誰に届けたいのか。教員たちも、ときには、学校の外に立って聞いてみればいいのにと思う。
 グランドの金網には「いじめダメ!」の横断幕が貼ってある。
 やれやれ・・・・。
追記2019/11/10
 教員が教員をイジメていた。小学生も巻き込んでいた可能性すらある。市内の小学校の時間が新聞紙上に大きく取り上げられている。
 暗澹とするとはこのことだが、起こっていたらしいことが、全く理解できないわけではない自分に驚く。十分あり得ることで、そこに充満していたかもしれない悪意を、僕も知っている気がする。
 教育というシステムが、何処から壊れるのか、そこから考えた方がいい。教室や学校は、下手をすれば「恐怖の権力」の巣窟になりやすい。実は、教員が一番危ない。自分が権力者であることを、反省どころか、自覚もしていない世界が、そこにある可能性がある。なぜそうなるか、そこを考えずに、終わらせないでほしいと思う。
追記2022・08・09
 中井久夫氏2022年8月8日、ご逝去された記事がネットに載りました。ショックでした。
もう、寝床にいた同居人に伝えると、起きてきてPCの画面をのぞき込みながら「見えない、見えない。」とつぶやきながら、向こうに行ってしまいました。
 今日のぼく自身の気持ちも、そんな感じです。「中井久夫が死んでしまったなんて、知らない、知らない。」

 
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最終更新日  2024.03.27 23:48:57
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