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吉本隆明 「夏目漱石を読む」 (ちくま学芸文庫)
夏目漱石の「三四郎」(新潮文庫)の案内とかを読んでくれた美少女マコちゃんから 「夢十夜と三四郎って、どこかでつながるんですか?」 というヘビーな質問をされて、「うーん」と一晩うなって思いだしました。(思い出すのに時間がかかるのは、なんとかならないんだろうか。) 「そうだ、吉本隆明「夏目漱石を読む」(ちくま学芸文庫)があるぞ。」 漱石を相手に、作家論を書いて世に出た人は大勢いるに違いないのですが、ぼくが初めて漱石を読むべき作家として意識したのは、実は漱石の作品を読んでではありませんでした。いや、「坊ちゃん」とか、子供用の「吾輩は猫である」とかは読んでいたかもしれませんが、文学として出会ったのはというと、江藤淳の「夏目漱石」(講談社文庫)という評論でした。 今では「決定版夏目漱石」(新潮文庫)で読むことが出来ますが、23歳の江藤淳が病気療養中に書いたデビュー作であるこの作品が、17歳の高校生の、その後の50年の好み一つを決定づけたのです。 20代の大学生が書いたということに「感激」しただけのことだったとは思うのですが、それからの2年間、高校の恩師の書棚から、次々と借り出した『江藤淳著作集』全6巻(講談社)と、確か、浪人をしていた年に出た『江藤淳著作集 続』全5巻(講談社)を新刊、次々に買い込んで読んだ記憶があります。当然のことながら(?)、そこに出てくる作家群の作品も片端から読む必要に、勝手に、迫られることになってしまったわけですから、それは、忙しい一年でした。初めての下宿暮らしの充実していた思い出というわけですが、受験勉強はどうなっていたのでしょうね? この先生には、江藤淳の著作集をはじめ、アイザック・ドイッチャーの幻の名著、「予言者トロツキー 三部作」(新潮社)、エッカーマンの「ゲーテとの対話(上・中・下)」(岩波文庫)とか、いろいろお世話になりました。これまた、懐かしい思い出ですが、今なら、高校生に貸し与える本とは思えないところも、なんだかすごいっですね(笑)。 江藤淳は、後に保守派の論客として名を上げた(?)人ですが、結局、生涯、漱石をテーマにして生きた人だと、ぼくは思っています。江藤淳については、ここではこれ以上話題にしません。で、話題は、江藤淳の著作集の対談の相手として登場した吉本隆明に移ります。対談をしている二人の慣れ合いではない向き合い方が印象に残り、関心は吉本隆明に広がっていったというわけです。 吉本隆明は「昭和最大の思想家」などいうニックネームで、まあ、大変なんだけれど、ぼくは、詩人であり、文芸批評家だったと考えてきました。「共同幻想論」(角川文庫)も「言語にとって美とは何か」(角川文庫)もぼくにとっては文学論だったわけで、江藤とともに、「漱石」と「小林秀雄」をぼくにすすめた批評家でした。 その吉本隆明が、晩年、漱石の小説について、「猫」から「明暗」まで、すべての作品を俎上にあげて語った講演を本にしたのが、本書「夏目漱石を読む」です。 「渦巻ける漱石」、「青春物語の漱石」、「不安な漱石」、「資質をめぐる漱石」と題した四回の講演を一冊にまとめた本だが、それぞれの題目に「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」、「坊ちゃん」「虞美人草」「三四郎」、「門」「彼岸過迄」「行人」、「こころ」「道草」「明暗」が振り分けられていて、漱石の一つ一つの作品について、当時、80歳にならんとする吉本隆明が、それぞれの作品の眼目と考えるところを、「一流の文学とは何か」という問いに答えるかたちで、訥々と語っています。 「一人の批評家が一生かけてたどり着いたものだ」 という実感というか、迫力を自然に感じさせるところがあるとボクは思います。 ランキングボタン押してね! にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.12 11:04:36
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