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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.05.10
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 ​真藤順丈「宝島」(講談社)​​​​​​​​​​
​ ​もう10年以上も昔のことになるのですが、生まれて初めて、育った家と神戸の町を出て、沖縄で暮らし始めた「ヤサイクン」からこんな手紙を受け取りました。​​​
「巨大大国アメリカと日本が、また小さな島国沖縄を襲ってきた。」
「ここには人も動物も暮らしているという事が、政府の人間にはわからないのだろうか。」
 辺野古で座り込みを続けているうちなーんちゅの言葉だ。

​ 日本、アメリカの両政府の移設案には始めから「普天間基地の県外移設」と言う言葉はなかったようだ。「普天間のヘリ部隊は嘉手納のF15戦闘機との合同訓練が不可欠なため県内の嘉手納から近場の基地に移転する。」という事だ。​
 麻生外務大臣「沖縄に基地があるのは地理的環境からみても当たり前。」と発言している。過去に沖縄が基地の使用期限を求めたのに対して「基地に使用期限など無い。」と発言した人間だ。その人間を新内閣の外務大臣として任命した小泉首相という人間。
 考えられないほどの借金を抱えている国のはずだが、軍事費だけは右肩上がりに年々上昇。アメリカから何十兆円もする戦闘機やミサイルを毎年購入。こんな危険な国は他に存在しないだろう。
「反対する人間がいても関係ない。日本政府も了承済み。」アメリカ側の発言だが何故日本の政府の人間は誰も怒らないのか?政府の人間だけじゃない。「日本人が何を言おうが関係ない。」って言われてるのと何も変わらないのに。たいして問題にならない理由は簡単だ。これは明らかに沖縄県民に向けられた発言だからだ。​
 それは日本の政府にしても同じことだ。沖縄に来て、この手のニュースを見るとき、いつも違和感を覚える。それは沖縄で暮らして初めて分かることだと思う。
 政府の人間にとって、沖縄の人がどうなろうと明らかに他人事でしかない。そのように沖縄県民が受け取ってもおかしくない発言、行動を繰り返している。日本という国全体の問題なのに沖縄の問題になってしまっている。だから内地の人間も政治家も誰も反論しない。それが当たり前であるかのように聞き流している。
 「平和の代価」と言う名目の下で米軍基地を日本に作ると言う以上は、その責任は日本全土で負わなければならない。少なくともその「代価」の八割~九割を沖縄に押し付けている現状は間違っている。
 テレビで普天間基地の特集番組が沖縄で先日放映されたが、その中で沖縄在住の内地の人が「沖縄側が拒否を続けていたら政治家だけでなく内地の人達までが沖縄に怒りの矛先をむけるようになるだろうから、受け入れたほうがいい。」と言う意見を述べていた。
​ 僕も「内地の人達が怒る・・・。」と言うことは考えたことがあった。でも、今は根本的にこれは間違ってると感じる。怒ろうが怒らまいが、おかしいのは沖縄に基地を押し付けている事なのだから。むしろ怒られるべきなのは内地側である。​
 沖縄に来たことがある人は分かると思うが、必ず「ないちゃーですか?」と、うちなーんちゅは質問する。僕はこの事に違和感を覚えることがあって友達に何故だか聞いてみた。そしたらこう答えた。「沖縄が好きだし、沖縄や沖縄の文化を守ろうと思ってるから。」と。
 沖縄を守るというのは、内地の人間から沖縄を守るという事だ。二十歳前後の学生でさえこう思っている。僕は以前、うちなーんちゅは沖縄に閉じこもり過ぎだ!と書いたことがあるけど、それは少し違う気がしてきた。そんな小さなことではないように思う。酔っ払いながら話を聞いたわけだけど、何一つ反論もできずうなずくだけだった。
 僕は20年神戸で育ったわけだけど、神戸が好きだとか守ろうだとか、一度も考えた事は無かった。
 「守る」
という気持ちが生まれると言う事は冒頭での「アメリカと日本が・・・」と言ったようなことが、たった20年の間で幾度もあったということだろう。(実際あったのだが。)

 何にも知らずにのほほんと生きてきた僕に何が言えるのだろうか。僕が沖縄に来て「おかしい」と思った事を、産まれたときからずーっと背負わされて生活している人々がこの島にはいるのだと言うことを、今やっと分かったのかもしれない。
 「沖縄を守る」という、うちなーんちゅの気持ちはそう簡単には無くならないように思うし、無くなって欲しくないとも思う。
 どんな土地であっても人は暮らしていて、例えば移設候補にあがっている辺野古にももちろん人は暮らしている。
辺野古は漁業の村だ。その海に飛行場を作ればどうなるか。そんなこと誰にでも分かることだ。

 どこからどこまでが「戦争」なのか、僕にはよくわからない。少なくとも沖縄では「戦争」は終わっていない。「また小さな島国沖縄を襲ってきた。」という言葉が、今の沖縄の全てを語っているように思う。
​ ​「戦争があったことを風化させてはいけない。」
 「震災があったことを風化させてはいけない。」
 よく聞く言葉だけれど、最近自分の中での理解の仕方が変わった。​
ずっと「震災があって町は焼けて、たくさんの人が亡くなって・・・。」と言う事を忘れなければいいのだと思っていた。けれども、そうではない。「震災の結果、今も、家がなく公園で寝ているおじちゃんがいます。家族を失い小さな頃から一人で生きてきました。」
 そういうことが、今、現在もあると言うことなのだ。沖縄で暮らして、やっと気付いた・・・。

​​​​​ 話はがらりと変わるが沖縄のてんぷらには驚かされる。内地のてんぷらからは想像できない料理だ。沖縄のファストフード=てんぷらと言われている。出店などで売ってる。内地のてんぷらのコロモは出来るだけ混ぜないようにして作る、さらさらのコロモだ。だが、沖縄はその正反対。出来るだけかき混ぜてグルテンを発生させて、まるでお好み焼きの生地のようなコロモを作る。サクサク、パリパリではない。ブニョブニョだ。もちろんコロモにも塩コショウ等で味がつけてある。だから基本的には何もつけないで食べるのだ。
 個人的な感想として、はっきり言っておいしくない!と言うより僕はてんぷらとして認めたくない・・・!
  沖縄には僕には想像出来ない料理が多い。だから、とてもおもしろい。​
​ この手紙が届いた2005年、本土でも本格的に話題になり始めた米軍普天間基地移転問題。基地と隣接した学校にヤサイクンは通っていたし、基地移転が、米軍の兵士による度重なる少女暴行事件や、軍用ヘリコプターや戦闘機の墜落事件に端を発していたことを否応なく知る経験をしていた。​​
 当時、メールで手紙を受け取ったぼくは、彼を沖縄に送り出したことを、心の底から「よかった」と思ったが、返事には困った。
 あれから東北で大きな震災があり、津波による想像を絶する数の死者や被災者のこと、原子力発電所の爆発事故による放射能汚染で住む家や街を失った故郷喪失者たちのことは、阪神の震災の時と同じように風化が問題になり始めている。戦争であれ、自然災害であれ、本当に苦しむ人たちを忘れることで踏みつけにする風潮が当たり前になりつつある社会は何処か狂っているのではないだろうか。
​​​​ 普天間基地辺野古移転は、強引に推し進められる中、移設工事に待ったをかけ、抵抗を明らかにした翁長雄志沖縄県知事が、今年の夏、亡くなった。彼が主張していたのは「沖縄が過去100年どんな目に会ってきたのか、思い出してくれ!」ということではなかったか。彼の死に際して、やりきれない気分だったぼくは、ちょうど、その週に、まったく偶然、この小説真藤順丈「宝島」と出会い、一気に読み終えていた。​​​​
​​ 「ヤサイクンが送ってくれた手紙にこたえる小説が出現した。」
 
ジャンルとしてはエンターテインメントとされているが、読み終えて、ただのエンタメではない。そう思った。​​

​​​​ 22歳ヤサイクンが、あの時「戦争は今現在も続いている」といった現実認識は、10年たった今も、ぼくたちが暮らしているこの社会でも、相も変わらず有効なのだが、沖縄の歴史、いや、沖縄に「今、現在も続いている」ことを、戦後の沖縄を舞台に英雄叙事詩として、堂々と語った小説が現れたことに心が躍った。
 それが東京の作家によって書かれたことは驚きだが、間違いなく素晴らしい作品だとぼくは思う。​​​​

​​​​​ 小説は1952年に始まり、1972年に終わる。その20年の間に何があったか、それぞれの年に何があったか、現代の日本人の多くは知らない。忘れたのではない知りもしないというべきだろう。
 しかし、読み終えれば、きっと、「日本という国」が、少なくとも、それぞれの年に、「沖縄」に何をしたのか知ることになる。それだけでも読む価値があると思う。​​

​ 腰巻にある「さあ起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた」という、1952年、作中の英雄の一人が発したことばが、今、この時、2018年にも生き生きと蘇り、響きわたってくることを、読者は思い知るだろう。​
​​ ヤサイクンも納得するに違いない。乞うご一読。(S) 2018/08/17​​​​​​​​​​​​
追記2019
​​ この文を書いてから半年たった。「宝島」直木賞を受賞した。めでたい。​​
 辺野古の埋め立ては、知事選挙、県民投票、すべての結果を無視して、無理やり進められている。都合のいいときだけ「国民の声」を持ち出す政治権力が、だれを踏みつけにしているのか。ぼくたちは真剣に考えた方がいいのではないだろうか。時代は暗い方へ向かっている。
追記2019・10・01
 かつて、脱原発とか、リベラルを気取っていた男が防衛大臣になった。県知事との会談が、先日報道されたが、無理解と無能をさらけ出しただけだった。隣国に対する居丈高な態度を外交交渉だと考えたこの男は、今度は、きっと、国内に向かってふんぞり返って見せるだろうと予測していたが、その通りだったことには、もはや驚かない。
 「辺野古をめぐる問題」が、「この国全体の問題」へと大きくなるにはうってつけの人物かもしれない。
追記2020・04・24

 「辺野古の埋め立て」が工事計画のずさんさを露呈して頓挫している。玉城知事の意見は無視され、「普天間飛行場の一日も早い危険性除去」というありもしない大義名分のインチキも露わになっている。米軍基地から毒性の強い消火剤が街に拡散している。駐留米軍にコロナウィルスが蔓延し、本来、安全なはずの市中でも感染が広がっている。
 それが2020年4月沖縄なのだが、本土のメディアはまともに報道しない。事件が東京湾ででも起きない限り、隠し続け、押し付け続けられるというのが「この国」のやり方なのだろうか。
 「在日米軍」のコロナ感染​についてはこういう記事もあります。
追記2023・03・01

​​ 沖縄の戦後教育をめぐる論考で山里絹子さん「米留組と沖縄」(集英社新書)を読んでいます。ヤサイクンが通っていた琉球大学が、米軍によって作られた学校だということに初めて気づきました。​​
 つくづく何にも知らないまま、それなりに分かったような口をきいていた自分が嫌になりますが、とにかく、少しづつ知る努力をしようとは思っています。
 


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最終更新日  2023.03.01 23:29:48
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