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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
岩井圭也「われは熊楠」(文藝春秋社) 岩井圭也という人の「われは熊楠」(文藝春秋社)という、南方熊楠という人物の生涯を描いた伝記小説を読みました。
岩井圭也という人の作品を読むのは初めてですが、直木賞の候補に選ばれた作品のようです。南方熊楠という、明治から昭和にかけて生きた人物の生涯を追った作品でした。 南方熊楠って誰?なんて読むの? 若い人たちには、まあ、そういう感じで受け取られる人物であり、名前なんじゃないかと思いますが、実は、かなり有名な方で、伝記を小説化した作品では、ボクが読んだことのある作品だけでも、かなり古いのですが、1980年代の終わりころの作品で、神坂次郎の「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」(新潮文庫)、津本陽の「巨人伝」(文春文庫上・下)という、それぞれかなりな大作(内容は覚えていませんが)がすでにあります。 それから、たとえば、1990年ころですが、当時、ニューアカの旗手の一人だった中沢新一というような人も「森のバロック」(せりか書房・講談社学術文庫)とか、「熊楠の星の時間」(講談社メチエ)とかで繰り返し話題にしていて、多分、ある種の熊楠ブームだったんでしょうね。 ボク自身は興味を持っていて、結構、読んだ人ですが、ああ、そうそう、坪内祐三という方に「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」(講談社文芸文庫)という面白い評論?エッセイ?にも名前が出てきますね。 ちょっと話がそれますが坪内祐三のこの本は「明治」という時代に興味をお持ちの方にはおススメですね。司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫・全8巻)が、到達点からの振り返りだとすれば、こっちは、慶応三年というのは、翌年が明治元年ですからね、明治と同い年の人物たちの生きざまを始まりからの視点で追ったという意味で面白いですね。 というわけで、南方熊楠、みなみかたくまぐす、くまくすと読む場合もあるようですが、慶応3年生まれの一人である彼が 何者だったのか? というわけですが、慶応3年、1867年5月18日に生を受け、昭和16年、1841年12月29日に亡くなるまでの74年間、坪内風にいうならつむじを曲げ続けて、学問だけを生きた人です。天才とか、奇人とか、孤高の巨人とか、大博物学者とか、まあ、いろいろの呼び名がありますが、ボクには、その正体を一言でいう根性も知識もありません。だって、粘菌とか、曼荼羅とか、大英博物館とか。 だいたい、粘菌って、わかります?(笑) でも、やっぱり気になるんですよね。で、まあ、目の前にこういう本があると読んでしまうわけです。 もし、ウキペディアとかで調べてみて興味がわくようなら、この「われは熊楠」を読むと、熊楠の生涯のあれこれが、まあ、年齢に沿ってとても分かりよく描かれていて、 ああ、そうか、面白い人だな! と腑に落ちます(笑)。 本書は、それぞれ、第1章「緑樹」から第2章「星花」、第3章「幽谷」、第4章「閑夜」、第5章「風雪」、そして第6章「紫花」と題し、6章立てで、南方熊楠の生涯を追っています。 和歌浦には爽やかな風が吹いていた。 これが書きだしです。で、ネタバレみたいですが下が結句です。 人魂となった熊楠は、夏野原を駆けていく。熊楠は世界であり、世界は熊楠だった。 生まれたときから、魂となって飛び去って行くまで「爽やかな風」に吹かれて生きた男というのが、この作家の南方熊楠です。だからでしょうね、希代の奇人の生涯を気持ちよく読み通すことが出来ます。 まあ、そこがこの作品のよさでもあり、物足りなさでもあるのでしょうが、ボクは、この若い作家が、今時、南方熊楠なんぞに挑んで 「こんな人がいた!」 と世にさしだしている姿勢というか、態度に好感を持ちました。なんとなく、一つの時代が終わりつつあることをボクは、実感というか、肌合いというかでは、かなり、リアルに感じています。新しい時代が、新しいはじまりの時代なのか、破滅の時代なのかはともかくとして、とりあえず、南方熊楠なんていう、変人に関心を持つ人がいることに、何となくな期待と希望を感じます。若い人に読んでほしい作品ですね。
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最終更新日
2024.11.04 01:49:49
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