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カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」(早川文庫)
「カズオイシグロ」、この名前をご存知だろうか。イギリス人作家になった元日本人。1989年、「日の名残り」(中公文庫)という作品でブッカー賞という、イギリス文学界最高の文学賞をとり、二年に一作のペースで作品を発表し続け、そのすべてが英語圏ベストセラーという、現代イギリスを代表する作家。 彼は長崎生まれの日本人だったが、五歳の時に海洋学者の父の渡英に家族で同行、以来イギリスの教育を受け、現在に至っているそうだ。現在の彼は日本語が上手く書けないし、しゃべれないらしい。 年齢は僕と同じ1954年生まれ。国籍はイギリス。2017年、それまで候補として評判だったハルキ・ムラカミを差し置いてノーベル文学賞を受賞して大騒ぎになった。 この不思議な経歴の持ち主であるイシグロの評判の作品「わたしを離さないで」(早川文庫)を読んだ。 読み終えて実は困ってしまった。何とか紹介したいのだが、これから読む人にどうしても教えてはいけないことがある小説なのだ。 原題は「Never Let Me Go」。翻訳は土屋政雄。イギリスで映画化され、日本公開に先立って、作家自身が来日したあたりから、メディアが騒ぎ始めた。NHKでは「動的平衡論」の紹介で評判になった、あの福岡伸一がインタビュアーを勤める特集番組を作って放送した。生物学者を作家カズオ・イシグロのインタビューに起用した所に、この作品が評判になっている理由の一端が垣間見えるわけなのだが、僕としては、それ以上語るわけには行かない。この小説を読み終えて困った理由もそこにある。 もっとも、今(2019年)となっては綾瀬はるか主演のテレビドラマまで作られたわけだから、そんなに気にする意必要はないかもしれない。 ミステリー小説や、映画の紹介をするときのタブーに、プロットを語ってはいけないということがある。推理小説を批評するのに謎解きをばらしてしまってはいけないということだ。「それならば、この小説はミステリー小説なのか」と問われれば、「そうではない」と、僕は答える。しかし、小説がミステリアスであることは間違いない。 この小説について、翻訳家柴田元幸はこう解説している。 《この小説は、ごく控え目に言ってもものすごく変わった小説であり、作品世界を成り立たせている要素一つ一つを、読者が自分で発見すべき》で、《予備知識が少なければ少ないほど良い作品なのである。》 実にそのとおりだと思う。何も言わず、まあ読んでみたまえというのが、この小説の案内としては最も正しい。 ただ、この小説はミステリアスだといったけれど、実は最後まで、心に最初に浮かんだ謎は解けなかった。そこの所だけ少し説明してみたいと思う。 たとえば、この小説の表紙にはカセットテープのイラストが書かれている。本文を読めばこのテープが、主人公の宝物であったテープであることは、やがてわかる。しかし、何故そのテープが、それほど大事で、その中の一曲の題名が小説の題名として使われることになるのか、それは今もわからない。 いや、その言い方は少し間違っている。「私を離さないで」という1950年代のイギリスの通俗なラブソングが、幼い主人公によって、意味を取り違えられた結果、主人公が生きるための祈りとでもいうべき象徴性をおびて、小説の中に据えられていることは読めばわかる。しかし、主人公は何に対して祈るのかという疑問に突き当たってしまうと、最後までわからないのだ。それは僕の中で、思考実験のためのひとつの問いのように残ってしまう。 もうひとつ謎をあげてみると、この小説がこう閉じられていることにある。 「空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。」 すべてが、あらかじめ奪われていたことを知った彼女は、死んだ友人との思い出の場所にやってきているのだが、そこで湧き上がってくる空想を自らに禁じて、何処かへ出発しようとして小説は終わる。 しかし、彼女は、いったい、どこへ行くのだろう。それが、ずっと謎を追うように読み進めてきた僕に示された最後の謎だ。答えはまだわからない。 僕はこの小説を案内するために、語ってはならないことを語ってしまったかもしれない。いずれにせよ、読めば考え込まなければならないことに出会うことは間違いないだろう。乞うご一読。(初出2011/05/11)(S) にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.22 09:09:07
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