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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
矢作俊彦「ららら科学の子」(文藝文庫)
夏休みが始まって一週間、「ゆかいな仲間」のチビラくんたちが「ヤサイクン」に連れられてやってきました。チビラ1号こと小学校4年生の「コユチャン姫」が、マンガの棚の前で読めそうな漫画を物色しています。 ♪ いつも君のそばに居るよ 今でもそうですが、ゴジラ老人はこういうセリフに弱いんです。たとえば、誰でもご存知の「スタンド・バイ・ミー」という名曲があります。映画の主題歌にもなったし(原作はスティーブン・キング新潮文庫)、ジョン・レノンとかが歌っていた歌ですが、今聞いても泣けますね。「ゾーン」が歌ったアトムの主題歌は、丁度その反対なのですが「遠い空こえて僕らは飛び立つ」というのがいかにもアトムらしいなあと思ってしまうんです。 空をこえて~♪ ららら 星のかなた~♪と歌われた昭和の「鉄腕アトム」も国境の向こうの世界で苦しんでる少女を救いに飛び立ちます。しかし、国境を超えてはいけないというロボット法によって処罰され、とどのつまりは太陽に向かって飛んで行くという結末でした。みなさん、覚えておられるでしょうか。あの漫画も、有名ですが多くの人が最後までは読んでいない作品の一つかもしれませんね。 もっとも、ぼくにこのことを思い出させてくれたのは矢作俊彦「ららら科学の子」(文藝春秋社)という小説でした。2003年の新刊ですから、今となっては少し古いですかね。この小説は、ぼくにはとても面白かったのですが、その後文春文庫になっているところを見ると、そこそこ流行ったのかもしれませんね。 1960年代の終わりころ。当時20歳の青年がアトムのように国境をこえて飛び立ってしまいます。それから30年間、中国大陸の辺境で暮らし、1990年代の日本に帰ってくるというお話なのですが、主人公は国境をこえたことで処罰されたんだろうかというのが、読み終えてのぼくの感慨でした。しかし、それにしても、 この30年という時間の区切り方がすごい!と思いました。この作家はただのエンタメ作家じゃないと思います。 で、30年前の出発の日に、少年だった主人公が小学生の妹に送った本がエーリッヒ・ケストナー「点子ちゃんとアントン」なのです。岩波少年文庫の一冊で今でも読めます。ナチス版「焚書坑儒」で灰にされた作品です。 この本のことはこの小説の中ではとても大事なディーテイル、つまり小道具になっていて、あんまり説明してしまうと読む人の迷惑になるからこれ以上言いません。 兄から本をもらった、この妹と、ほとんど同じ時代を生きた人間であるボクにとってこの小説には忘れられないなにかがあります。それは、30年という時間単位とも関連していることだと思います。 この小説を読んでいると、二つのデ・ジャ・ブ、既視感、あるいは記憶というべきか、が重なって、ボクのような読者の頭の中には浮かんでくると思います。 一つは1960年代から70年代にかけての社会のイメージです。先のオリンピックの開催されたころの、たとえば木造の小学校の風景です。 もう一つが阪神大震災のあとの、神戸に住んできた人間に特有なのかもしれませんが、何だか「あとの祭りのような空気」の漂う乾いた荒涼とした風景です。 小説には一つ目の時代から二つ目を眺める「帰ってきたアトム」君が出てくるのですが、2019年の読者は、小説に描かれている1990年代後半の世界からは、もう、30年ほど未来の「今」から、振り返って眺めることになってしまいます。 そこから 「あれは、なんだったんだろう?」とでもいう感慨と、 「今のこれはいったい何だろう?」という、何だか首が座らなくてぐらぐらするものと出会います。もっとも、60歳を越えた読者でないと、この感じはわからないだろうという気もします。 そのあたりがこの小説の始まりから終わりまでを支える面白さの肝だったと思うのです。実に映画的設定で、そのうえ、昭和の映画の話もたくさん出てくるわけで。そこもぼくには面白かったですね。 1960年に2000年が未来であった ということは当たり前のことです。しかし、当時のマンガのなかで鉄腕アトムが生まれたのが2003年で、人気漫画の主人公だったアトムが生まれたのと同じ頃、あの頃の映画の世界で描かれた宇宙船ディスカバリー号の旅があったわけなのですが、それぞれが、今となってはもう終わっていますね。その時代を生きてきた人間にとって、その事実は、ちょっと、いや、かなり不思議な感じのすることなのですね。そのあたりのことを高校生諸君はどう思うのでしょうね。 そんなことを考えることが好きなSFファンにはが巽孝之『「2001年宇宙の旅」講義』(平凡社新書)をお勧めしてもいいかもしれませんね。ただ、まあ、この本は高校生には、ちょっとめんどくさいかもしれないし、そのうえ、やっぱり、もう古いのかもしれないですね。それではまた今度。(S) 追記2019・08・04 記事は2004年に書いた「案内」のリメイク版なのですが、本書「ららら」を再読して唸りました。 余計なお世話ですが、ケストナーの童話とともに本書の中で大切な小道具になっている小説がもう一つあります。カート・ヴォネガット「猫のゆりかご」(早川文庫)です。 「ららら」には「2001年宇宙の旅」という映画もちゃんと登場します。ボクくらいの年齢の読者なら、小説の世界と、現実の経験を行ったり来たりさせられるに違いないのです。この作家の、このあたりのセンスは、ホント、半端じゃない。 追記2021・09・04 久しぶりに記事を読み直して焦りました。何が書いてあるのかよくわかりませんね。ぼくは、思い込んで書いた人なので困りませんが、読まされた高校生は困ったでしょうね。まあ、そういう教員だったんでしょうね。何とも恥ずかしい限りですが、思い当たるフシどころか、証拠がこうしてあるわけで、困ったものです。 追記2024・04・21 この古い掲載記事を修繕していて、 あれっ?! て、思いました。 ケストナーとかカート・ボネガットとか、具体的に引用される作家については言及していますが、兄が妹に、というシーンの向うにはサリンジャーがいるようですね。 だから、どうだと問われれば困るのですが、矢作俊彦が1950年生まれで、あの世代、「ライ麦畑でつかまえて」(白水Uブックス)が「新しい世界の文学」という白水社のシリーズの1冊として出版されたのが1964年ですが、どんぴしゃりの世代で、彼自身が、インチキなここから出て行きたい少年であったどうかはわかりませんが、小説が、ここをインチキな場所だと感じていた少年を主人公にして書かれていることは確かなようです。 まあ、そこから先は、やっぱりだからどうだというのだですが、とりあえず忘れないように追記しました(笑) にほんブログ村 ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.21 11:56:27
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