赤坂真理「箱の中の天皇」(河出書房新社) 「東京プリズン」(河出文庫)で高く評価された作家、赤坂真理の新作「箱の中の天皇」(河出書房新社)です。出版当初、天皇退位という出来事もあって、とても話題になったように思うのですが、その後がどうなったのでしょう。今年(2019年)の四月ごろだったでしょうか、新刊書店のメインの棚に顔を見せて並んでいましたし、市民図書館では順番待ちが列をなしていました。
赤坂真理は前作では「東京裁判」とは何かということを小説化したわけですが、今回は退位した平成帝の「お言葉」にインスパイア―されての作品ということでしょうか。近くにも読んでいる人はたくさんいました。ちょっと架空の座談会ふうにご意見を紹介しましょう。
60代女性A
若い人たちが、これを読むこと。まず、それを期待したい。その上で、どう思うのか、どう考えるのか聞いてみたい。
たとえば、憲法上の「象徴」という定義をはじめ、問いかけていること、描いていることはかなり重要で、本質的なところに迫っているでしょ。小説だから書けることを書いていると思うのね。それを十代、二十代の人たちが読んで、わからないと思うなら思うで、考え始めるということをはないのかしら。60代男性S
まあ、十代は?です。それより、小説としてはどうなんでしょう。うまくいってますかね?そこのところが、ぼくは引っ掛かったんですが。話題に負けてるというか、これもありなのかなあ。
60代女性A
そうね、そこはむずかしいところよね。小説としてでないと書けなかったのかもということと、小説としてうまくいっているか。ちょっと疑問ね。
70代女性D
私は、だんだん引き込まれました。
ファンタジーとして描いていること。
天皇制について「箱」というメタファーで可視化して語っていること。
ドイツの大統領の発言と平成の天皇の在り方の描き方。
印象に残ったのはそのあたりかな。いい作品だと思いましたよ。
60代女性B
例えば、ほら、敗戦後論とかの議論がありますよね。そういう、この国の戦後社会の在り方について、きちんと勉強なさっているところもいいと思いましたね。
主人公がアメリカ体験のある50代くらいの女性として描かれていますよね。そこから一つのことばについて、英語と日本語のズレというんでしょうか。「シンボル」イコール「象徴」なのかという問いかけ。そういう視点の重層性というか、外からの眼差しというか、設定として好感を持ちました。
60代女性E
たしか、高山文彦でしたっけ、「ふたり」(講談社文庫)っていう本がありましたよね。二人の「みちこ」でしたっけ。この小説には石牟礼道子さんらしい人が出てきますよね。折口信夫とか、三島由紀夫の名前も出てきます。それぞれの人が何故出てくるのか。三島由紀夫はともかく、石牟礼道子とか折口の天皇というのはもっと古代的というか、この作家の天皇とは少し違うと思いました。
アリバイで出してきてる感じがして、なんで出すんだろうって。特に、石牟礼さんの登場にはちょっと。
60代男性A
「東京プリズン」に続けて、主張のある作品ですね。方向性は一貫しています。その結果なのか、「小説を読む楽しみ」というんですかね、面白さを失っていませんかね。
確かによく調べて書いていると思いますが、表面をなでたというか、腹が座ってそうで、座っていないというか。そのあたりは不満ですね。
この人、戦後社会論とかやりたいんじゃないですかね。新書とかありますよね。
60代男性S
ええっと「愛と暴力の戦後とその後」 (講談社現代新書)とかかな。読んだ時の記憶がもうないのですが、ちょっと思い浮かべた感じでは、よく似た論旨です。
70代女性C
私も「東京プリズン」以来、作家の主張の強い作品だなあって。マッカーサーとか横浜メリーとかの描き方はファンタジーっていうんでしょうか、主人公の意識の中に登場する夢のようになっているでしょ。でも、それって人形芝居に魂が入っていないという感じがしましたね。小説としては「生」っていうか。よく煮えてないというか。印象ですけど。
60代男性G
三十年間不在の父、英語ができる母、アメリカを知っている娘、憲法の定義を巡るアメリカの思惑を象徴するマッカーサー、アメリカにカラダを差し出す娼婦。みんなメタファーなんでしょうね。で、ファンタジーめかしてますが、ちがうんじゃないですか。ほかの登場人物も人形だと思いました、ぼくも。
最後の「お言葉」の記述から後に作家の心情が出てくるのですが、いろんな意味で焦点をぼかしていると思いました。近代的な政治制度としての「天皇制」と「天皇」そのものの間のギャップをクローズアップして、ある種「きわどいこと」を書いてると読んだんですが、平成帝が、近代以降の四代の天皇の中で、国事行為としてではなくて、国内や過去の戦地の訪問、古代的にいえば国見ですよね、と、日々の神事、お祀りですね、古典を読んでいると天皇って節会(節会)とかの主催者でしょ、それにとても熱心なんだそうですが、そのあたりから考えて、この作品は薄気味悪かったですね。
彼とヴァイツゼッカーとは一緒に語れないものがあると思いますね。ドイツの彼には宗教的権威は全くないですから
座談会が架空なのに50代より若い人が出てこないところが、ちょっと残念ですが、正直言って30代、40代の人がこの作品を読んでみてほしいし、どう思うのかという60代女性Aさんの感じ方は共感しますね。その年代の方がこの作品をどう読むのかということがぼくには想像できないわけですね。
この国のとても特殊な制度としての「天皇制」は、やはり、きちんと考えておかないとヤバいと思います。この制度を後ろから支えているのは、歴史性というよりは宗教性だと思いますが、宗教性というのは、いろんなことを、一気に御和算にしてしまえるシステムっていう感じがしますからね。つい先だっての選挙の演説とかでも「天皇の国だ!」などという人はいるわけですから。
追記2022・07・11
なんだか、昭和のはじめのような事件が起こって、大騒ぎになっている騒ぎ方が社会の方向を決めかねない、殺された人を祭り上げて、新手のファシズムを予感させるような、危険なにおいが漂っていて、そのうち、天皇とかのことも持ち出してくるんでしょうね。
全く予測はつきませんが、10年後くらいに信じられない事態になっているような気もします。今さら手遅れなのかもしれませんが、天皇とか国家とか、政治権力とか、マスコミの扇動とか、おもちゃのように子供大人も夢中になっているスマホの危険性とか、まじめに考えはじめないとヤバいんじゃないでしょうか。
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