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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.08.10
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​​​​​​​     和合亮一「詩の礫 起承転転」(徳間書店)​​


​ ​和合亮一​という詩人がいます。この詩集は震災直後の福島からツイッターで発信された​「詩の礫」​、詩の言葉のつぶて、の続刊です。内容は、たとえばこんな感じです。​

​​​​​​​​​​この震災は私たちに 何を教えたいというのか、教えたいものなぞないのなら、何を信じれば良いのか​​
20126172329
47

事故の検証は 雲の検証は 水の検証は 死んでしまった牛や犬の検証は 光の検証は せせらぎの検証は 愛情の検証は 自死の検証は かぶと虫の検証は 雨の検証は 帆掛け船の検証は ランドセルの検証は 風の検証は 原子力の検証は 請戸浜の検証は 検証の検証は どうしたのか
2012617233101

「いいのか なかったことにされちまうぞ」「もう されちまってるぞ」「「なにを根拠にしてそう思う?」」「「「もう?」」」「「「「もうだ」」」」「「「「「!」」」」」2012617233225

誰もがこれで良いのかと思っている良いはずがないと思っている確かにやみくもに反対することはいろいろなことを考慮して現実的ではない面もあるのかもしれないがそれでもこれで良いのかと思っていることはまちがいなく誰しも心にあるのだそれなのにこれで良いのか誰もがこれで良いのかと思っている
2012617233515

私たち家族には いまだに 太陽の下で 涼しい風を受けて 洗濯物を干す 楽しさを 許されていません 私の書斎には 私のシャツが いっぱいにつり下げられています 何人もの私と一緒に 暮らしたことあるかい 嘘です 本当です どちらですか どちらでもないです 再稼働
2012617233732

ザリガニを捕まえたり 小魚を網ですくったり どじょうをつかんだり 川海老の透明度に見とれたり ハヤを釣ったり 笹舟を浮かべたり 水しぶき 光 小石 川遊び 岸辺の 草の丈高さ 子どもたちの笑い声 返して下さい 返してあげる 返してあげない どちらでもないないです 再稼働
201261723:44:31​

こうえんであそんでいたらすりむいたのでないていたらしらないおとなのひとがぼくのきずにやさしいかおでしおをぬっていったからおおきなこえでわんわんないていたらまたべつのおとなのひとがみずできずをあらいながしてくれてそしてやさしいかおでおおつぶのしおぬっていったさいかどう
201261723:46:​27​​​​​​​​

​ いくら書き写しても「詩の礫」はつづきます。これをどう読めばいいのだろう。詩集を手に取ってページをめくり始めて最初に感じたことです。
 初めて手に取ったのは、もうかなり昔のことです。国文学者(?)の藤井貞和という詩人の​​「水素よ 炉心露出の詩 三月十一日のために」(大月書店)という詩集(?)に​​「うちなる詩の発生」と紹介されていた言葉に促されてのことでした。しかし、読みあぐねてしまいました。
 つい最近のことです。作家​高橋源一郎​​​「今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学編」(講談社)​​を読みました。その中で、こんな一節に出会いました。
「詩の礫」は、「非常時のことば」である。というか、その「ことば」は、「非常時」の現場から生まれてきた。いや、もっとはっきり言うと、それは「現場」そのものなのだ。​​
この世界には「現場」と「現場」でない場所の二つしかない。そして、ほんとうのところ、「現場」に住む人たちと「現場」ではない場所に住む人たちは、理解し合うことができないのかもしれない。  ​

​​​​​​ 作家高橋源一郎が、登場人物​「タカハシさん」​に語らせている、この発言を読んでいて、わけのワカラナイままの「納得」がやってきました。
 分刻みで、つぶやかれ続ける「詩の礫」にたどり着く方法はとりあえずないんだ。そのことを、むしろ肯定しよう。それでいいんだ。そこから始まる。
 そういう納得です。
​​​​​ ぼくの「現場」でも、​和合亮一​「現場」から聞こえてくる「ことば」を受信し続けることは可能かもしれません。その「ことば」を、ずっと受信し続けることで、ぼくの現場の「ことば」が、少し変わる日がやってくるかもしれない。​​​​​そういう、もう一つの納得もあります。
​ もう一度読み返し始めました。「現場」は古びていませんでした。つぶやきつづけている和合亮一​の、つぶやきのむこうにある沈黙している意識の「現場」が浮かんできます。受信するぼくの沈黙してゆく意識がそこに寄り添いたがっています。​​​
​ 今はもういない音楽家の武満徹「音 沈黙と測りあえるほどに」といういい方をしていたことをボンヤリ思い出しました。沈黙と測りあえる「ことば」は、こんなふうに書いている饒舌と矛盾しないのだろうか。自分のことばの浅さが、やっぱり気にかかります。​​​なんか、やっぱり訳が分かっていないですね。

追記2022・02・17

​​ 最近「裁かるるジャンヌ」という無声映画を見ました。音のない映像を見ながら、一生懸命言葉で意味ををつむぎたがっている自分を感じて、なんだか哀しくなりました。意味を知りたくてしようがないのは、愚かさでもあるのかもしれません。そこに写っている映像をそのまま受け取ることはできないのでしょうか。詩でいえば「ことば」をそのまま受け取ること。「ことば」から浮かんでくる世界を、そのまま育てること、そんな風にできるようになりたいのですが、むずかしいですね。​​







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最終更新日  2022.02.17 11:37:09
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