井上荒野「ひどい感じ」(講談社)
娘が語る父親。直木賞作家井上荒野が、父であり、戦後文学の孤高の作家井上光晴の素顔を語ったエッセイ。穏やかに言えばそういうことになります。
しかし、たとえば自らの出自や経歴について、ほぼ完全に虚構化していたことが知られている数奇な作家であり、自らの死にざまを「全身小説家」と題してドキュメンタリィー映画に撮らせた父親の娘が語るとなると穏やかにはすまないだろう。それが、この作品を読みはじめた理由でした。
予想に反して、穏やかで、温かいエッセイでした。「嘘もつき終わりましたので・・・・・、じゃあ」と去って行った作家は、少し風変わりとはいえ、どこにでもいそうな父親であり、亭主であったようです。その男の肖像が、間違いなく娘の目によって描かれていました。
ところで、井上荒野はエピローグでこんなふうに書いています。
「お父さんについての本をまとめてみませんか」というお話をいただいとき、正直言って、まったく気が進まなかった。娘が父について書くという行為にまつわる甘えた感じ、感傷的な感じを、どのように書いても払拭できる気がしなかったからだ。
少し、辛めに感想を言えば、この危惧はそのまま一冊の本になったと言えるでしょう。しかし、「ひどい感じ」というタイトルに込められた「ある感じ」が、甘ったるさから、この作品を救っていることに気付くと、少し話が変わります。
「ひどい感じ」というのは井上光晴の詩の題名らしいのですが、その詩の書き出しが、エピローグに紹介されています。終電車に乗り遅れたんだとさ
ひどい感じ
だからあいつは女と
ホームのいちばん外れに寝た・・・
「終電者に乗り遅」れて、「女とホームのいちばん外れに寝」ていた男は、父親として、夫としてどんな顔をして暮らしていたのでしょう。
「虚構のクレーン」の作家の「虚構の家庭」の姿を、笑いとペーソスで描いた井上荒野という作家の「穏やか」な筆致のしたたかさに気付くと、甘ったるいとも言っていられなくなるというのがボクの感想です。 ちなみにドキュメンタリィー映画「全身小説家」のチラシはこんな感じです。
(S)
追記2020・09・26
作家井上光晴が、文学事典などに残した経歴は多くがデタラメであったというのは、今ではよく知られたゴシップかもしれませんが、作品はもちろん、実際の生活がでたらめだったわけではないでしょう。
「ゆきゆきて進軍」という映画が最近リバイバルされて、結構にぎわっていたようでしたが、ぼくが見たいのは「全身小説家」の方なのです。どこかでやらないかなあ。
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