|
カテゴリ:映画 スペイン・ポルトガルの監督
ビクトル・エリセVictor Erice 「ミツバチのささやき」
ビクトル・エリセという名前は知っていました。元町映画館のスケジュールで「みつばちのささやき」という題名を見つけて、2019年新春第1本目にふさわしいと決めて出かけましたが、一本目にカネフスキー「動くな、死ね、甦れ!」を見てしまったので二本目になってしまいました。 「3本立てにして次もみませんか?」 といってくれた意味に気づいたのは帰り道なんですからね。 「まあ、どっちにしても3本はなあ、しかし最終日やったし、うーん、ザンネン。」 トラックが村のほうに向かってやってきて、子供たちが動いているトラックの荷台にぶら下がったり、群がって集まってきます。子どもたちに、わくわく感があふれていて、映画を観ているぼくは50年以上昔に、村の公民館で観た市川歌右衛門の恐ろしさを思い出していました。 「あれは旗本退屈男だったのだろうか。」 子どもたちが壁に向かっていすを並べて、大人たちも集まってきて、部屋が暗くなって「フランケンシュタイン」が始まりました。 映画が映画と一緒に始まった! 美しい女性が男の消息を尋ねる手紙を書き終えます。女性は自転車に乗って出かけます。駅には蒸気機関車が到着して、女性は蒸気の中に消えて、それをカメラは追いかけて、女性が手紙を郵便貨車に投函するところを映し出します。 「なぜ、あの人はあの子を殺したの?なぜ、みんなはあの人を殺したの?」 村はずれの廃墟の小屋を見下ろす丘の上に二人の少女が立っています。広い、広いスペインの大地がずっと向こうまで広がっています。 この、立ってる少女の後ろ姿がなんともいえない。ずーっと、そうしているのを見ていたい。 しゃれたカバンを持って、ガニマタで立っているこの子はどこへ旅立とうとしているのでしょうね。 「わたしよ、アナよ‥‥」 窓の外の木立のそよぎに呼びかける少女。画面が暗くなり、劇場が明るくなりました。 広い広い麦畑の風景。少女アナのあどけない表情。見てから半年たちましたが、この二つのイメージは消えません。時々ふっと浮かんできます。映画の魔術というのはこういうことをいうのでしょうか。 同じ正月に見たカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」(クリックしてみてくださいね)は少年と少女の映画でしたが、やはり、全体主義に対する抵抗、きっぱりとした反対!を表現していたと思います。 映画が芸術であるということは、政治思想の表現であるということと矛盾しません。芸術だけでなく、あらゆる表現の自由とは、それらすべてを認め、擁護するということだと思います。 ご都合主義で、「公共」を口にする政治家や官僚に騙されてはいけません。公共の場では、あらゆる表現が自由でなければならないということを忘れ始めているこの国は、すでに全体主義が始まっているのではないでしょうか。 ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.10 19:22:14
コメント(0) | コメントを書く
[映画 スペイン・ポルトガルの監督] カテゴリの最新記事
|