ゴジラ老人シマクマ君の日々
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シマクマ君
シマクマ君のゴジラブログへようこそ。今日は図書館、明日は映画館。あれこれ、踏み迷よった挙句、時々、女子大生と会ったりする。大した罪は犯さない、困った徘徊老人。「週刊読書案内」・「先生になりたい学生さんや若い先生にこんな本どう?」・「映画館でお昼寝」・「アッ、こんなところにこんな…わが街」とまあ、日々の暮らしのあれこれ、いたって平和に報告しています。
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「こちらあみ子」(ちくま文庫)の今村夏子さんが芥川賞をとりました。そこはかとなく、ひいきしていた作家なので、喜びましたが、
「この人が芥川賞?」
という、なんともいえない不自然さも感じました。もちろん、ぼくの勝手な感想で、一般化していう気は毛頭ありません。受賞はとりあえずおめでたいと思います。 さっそく読みました。がっかりしましたね。なんだか「通俗」になってしまいましたね。「通俗」とはどういうことかということですが、「物語」に落ちがついて、なるほどそういうことだったのかという納得を準備したことですね。オチに向かって書かれている物語といってもいいかもしれません。 たとえば、彼女のここまでの作品で、「こちらあみ子」の場合、あみ子の様子を描写しているのが誰なのか、最後まで分かりません。いわゆる「神の視点」で描かれているわけですが、神にはなにかわかっているわけではなくて、ただじっと見ているという印象です。 「あひる」(角川文庫)の場合は、「あひる」を飼っている家の二階で暮らしている娘によって描かれている、一階の世界でした。二つとも、視点人物の意識の深さというか、形にならない不定形な印象が、小説の深さを支えていると感じました。 今回は町中の公園の、いつも同じベンチに座って、いつものようにクリームパンを頬張る、謎の「むらさきのスカートの女」の変転が、もう一人の女の、ストーカー的視点によって描かれるのです。この謎の設定が何だか通俗なのですね。 で、「むらさきのスカートの女」は、いかにもありがちな転落を遂げ、それを見ているもう一人の女が、なぜ、一部始終を見ることができるのかという謎だけが、作品のプロットとして浮き彫りになります。サイコミステリー映画の、誰がどこで見ているのかという古典的な謎解きがありますが、あんな感じですね。 結果的に、誰がどこで見ていたのかという謎は解かれます。しかし、読者はここで「そうっだったのか!」と驚くことになっているというようなこの描き方が、これまでの今村作品にはなかった構成で、ぼくには通俗と感じられました。 ストカー視点の書き手がなぜ見ていたのかという、ぼくには、そっちが本質的に思える謎は放置されたままのように感じました。見る相手を失った女は「黄色いカーディガンの女」として「謎の女」を生き始めるのですが、何だかありがちな結末でしたね。 彼女は、「少し怖い話」を書く、そこそこの人気作家になるのでしょう。でも、それって、どういうことなんでしょうね。 村田沙耶香の「コンビニ人間」(文春文庫)の時も、柴﨑友香の「春の庭」(文春文庫)の時も、同じような感想を持ちましたが、そのあと、しばらく読む気が失せるんですよね。(S)2019・09・05
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コンビニ人間 (文春文庫) [ 村田 沙耶香 ]
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