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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2019.09.08
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​​吉田篤弘「つむじ風食堂の夜」(ちくま文庫)​




​​ なんと、もう10年以上も前のことになってしまいました。実はこの原稿は以前高校生に案内したリニューアルなのですけれど、僕はその当時、とりあえず年間20号を目標にして、ノロノロやろうと思っていていました。
 というわけで、その年の1号が吉田篤弘の小説「つむじ風食堂の夜」(ちくま文庫)でした。今となっては古い小説なのでしょうか。吉田さんも結構人気らしく、新しい作品もたくさんありますね。​​


​ まあ、ともかくも「つむじ風食堂の夜」です。この小説の中にこんな会話があります。​



 彼は、オレンジをひとつ手にとると、『たとえば、いまここにオレンジがひとつあります。ありますね?』念を押して訊くので、私はまるで手品が始まるときの子供のようにこっくり頷いて、『ある』と応えた。
『いいですね?確かにここにこうしてあります。でも先生、ここってなんでしょう?このオレンジにとって、ここってどこのことなんでしょう?』『う~ん・・・』唸ってしまったが、『まあ、だいたいこのあたり』と、オレンジのまわり半径1メートルくらいの範囲を、私は自信なく示してみせた。


『どうしてです?どうして先生は、それがここだと言い切れるんです?


『さあて‥なんとなくとしか言いようがないんだけど』


『でしょう?じつは僕にもこの答えは分からないんです。というより、これには正確な答えがないんですよ、きっと』


『ふうむ』


『ですからね、僕たちはいまこうして月舟町の果物屋に居るわけですけど、同時にコペンハーゲンにも居るわけなんです』


​『だって、地球の外から眺めたら、月舟町とコペンハーゲンは隣みたいなもんですから』​


​ ​​登場人物たちは「月舟町」界隈に住む、売れているとはいえませんが「人工降雨の研究者」を自称して、町の人々から先生と呼ばれている作家とか、果物屋の桜田さん、古本屋の親父、主演の回ってこない舞台女優奈奈津さん、その他なのですけれど、彼らが毎夜「つむじ風食堂」に集まって食事をしたり、くたびれかけている人生を語り合ったりする、よくある話なのです。
 しかし、僕の印象ではこの小説は凡百の街角人情小説(まちかどにんじょうしょうせつ)とは一味違って、少々角が立っていて面白かったのです。それがこの会話なのですが、これがなかったらこの小説に高校生を案内したりしなかったでしょう。​​
 

​『ねぇ、先生』突然、耳元で桜田さんが大きな声をあげたので、私はあわててコップの水をこぼしそうになってしまった。
『さっきの話ですけどね』
『さっきの?
『いや、宇宙の話。わたしね、思いますけど、やっぱりここはここであって、遠くは遠くじゃないと、どうも・・・』
『この世のどこもかしこもが、全部ここだったら、わたしはなんだかつまんないですよ』
 目を逸らしたまま、私の顔を見ようとしなかった。
『宇宙がどうであって、やっぱりわたしはちっぽけなここがいいんです。他でもないここです。ここはちゃんとありますもの。消滅なんかしやしません。わたしはいつだってここにいるし、それでもって遠いところの知らない町や人々のことを考えるのがまた愉しいんです』
『わたしもそうだな』
背中のままの奈奈津さんが、バサバサと新聞を拡げながらそう答えた。『わたしもここが好き。先生は?先生ちゃんとそこにいる?
そこにいる?と訊かれてドキリとしたが、私はすぐに、
『いますよ。ここに』と、そう答えた。
『ずっとここにいます』そう答えていた。​

 もちろん、町の人たちが、いつも「ここ」とか、「そこ」とかの話だけをしているわけではありません。人々は、普通の生活をしています。今では、どこにもない町のようになってしまった、この町で生きる一人一人の人間の生活を小説家は描かれていて、その描写によって、一人であることの孤独も、社会の中で暮らしていることの常識的な振る舞いの何たるかも忘れてしまった僕たちの、今の生活のうすっぺらさがさりげなく浮き彫りのされていくのが。この小説だといえるわけです。僕たち人間は、寄り集まることで種の延命を果たしてきた人類の末裔なのですが、他者に対する自然な信頼や、安心を失い始めている現在というのは、かなりヤバイ時代に突入しているのではないでしょうか。
 宇宙の果てからみれば、フィンランドもこの国も隣同士という視点の大切さと、やっぱり、ここに「ちゃんといる」生活の大切さ、忘れていませんかね。 

 ところで、この小説は映画にもなっっておるようですね。興味のある人は、そっちの方もどうぞ。もっとも僕は観ていないので、何ともいえませんね。(S​2011/04/25

追記2019・09・08

 以前のブログのサイト(?)がサービス終了ということで、投稿を引っ越しています。もう一つは、仕事をしていたころ高校生さん相手に出していた「読書案内」があったのですが、保存していたはずがいつの間にか壊れていることがわかって、「それでも」という気持ちで転載しています。
 どうしても作品が古めということを痛感していますが、いい作品はいいしなあ、そんな気持ちです。


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最終更新日  2023.08.18 15:12:03
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