サミュエル・マオズ Samuel Maoz「運命は踊る」(FOXTROT)
シネ・リーブルの大劇場ホールで初めて映画を見ました。500席を超えるホールなので、どの席を予約していいのか困りました。行ってみると、えらい端っこでした。まあ、初めてなので仕方がありません。
監督も、俳優も、だれ一人知っている名前はあえいません。だいたいイスラエル映画なんて初めてです。
暗くなって映画が始まりました。
砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。カメラは、自動車のフロントガラス越しに、前方に向けて固定されています。「道」は向こう向きに延々と続いているようです。
「砂漠やなあ。前の方の、あの丘を越えれば何かが見えてくるんかなあ。」
ボンヤリと映像に引き付けられていきました。同じシーンが続きます。ふっと、息をつくと、いきなりシーンが変わりました。
ドアが開いて、壁にかかった「絵」でしょうか。不思議な四辺形の図形が繰り返されるアブストラクト画がアップになります。
突如、ドアが開き、ドアの前で女が倒れました。
「しもた、チラシ読んでもた。これ読んだらアカンやつや。事情がわかっちゃうやん。まあ、しょうがない、読んでもたんやし。」
映画.com
青年が砂漠の真ん中、まさに、荒野としかいいようのない検問所の路上で、踊っています。
「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」
しなやかなカラダ、地面を滑るように踏まれるステップ。「捧げ筒」のまま、垂直に固定した自動小銃を軸にして、体が前後左右に滑っていきます。踊っているのです。
「すごいなあ、このシーンだけで、この映画は見る価値があるな。続けて、もっと続けて。これか、フォックストロットって。夢の中みたいなダンスやな。」
映画の中で、運命が踊り始めたようです。
いきなり、画面にラクダが通りかかります。ヌッと出てきて、通り過ぎてゆくラクダのほかには何もやってこない、砂漠の真ん中の「検問所」です。若い兵士たちは退屈しています。
毎日、少しづつ傾き続けているコンテナの中で、4人の若い兵士が暮らしています。「傾き続けていること」をカメラは知っていますが、誰も気づいていないようです。一人の青年が、退屈しのぎにコミック画を書いています。
太った中年の女性と、スーツを着た男性が、どしょぶりの雨の中、自動車の横に立たされています。身分証明書は、なかなか返されません。雨は降り続いています。雨に濡れて立っている男とと女は何にかにおびえています。そこに漂う気配は一体なになのでしょう。兵士たちは銃を構えながら、相変わらず、退屈しています。苛立ちの気配だけが、静かに充満していくようです。
楽しく酔っぱらっているのでしょうか。車の中で騒いでいる4人連れの若者が「検問所」にやって来ます。ドアが開いて、何かが転がり落ちました。誰かが叫びました。間髪入れず、退屈していたはずの兵士たちが重機関銃を連射し、銃声が響きわたります。車は蜂の巣のようになり、車に乗っていた若者たちの死体が転がり出てきます。車の下に落ちていた缶コーヒーの空き缶が、転がっていきます。
砂漠の真ん中に立ちこめた苛立ちと不安の銃弾が、通りすがりの若者たちの「命」を奪い、若い兵士たちの「運命」を支配していきます。
シーンが変わりました。男が部屋で何か探しています。女はケーキを作っています。何故か、スポンジケーキににチョコレートを塗り付けている手が痛々しく見えます。壁にかかっていたアブストラクトは、ソファーに置かれています。時がたったのでしょうか?
ドアに貼られた一枚のコミック画をめぐって男と女が語り合っています。若い女性が部屋の前を通りかかり、女が作ったケーキを一口だけ食べて、ふたりに向かって言葉をかけ、部屋を出てゆきました。
男が女にフォックストロットのスッテプを教えます。ふたりが踊りはじめました。
「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」
もう一度シーンが変わりました。最初のシーンにもどったのでしょうか?砂漠の中の、石ころだらけの一本道を車が走っています。コミックを書いていた青年が乗せられていて、やがて、砂漠の丘の向こうが映し出されます。突如、ラクダが現れました。ラクダを避けようとしてトラックは横転し、谷に落ちてゆきます。
ほぼ、同時に、エンドロールへと画面は暗転し、ぼくは涙を流していました。砂漠で踊る青年のステップ姿が思い浮かび、漸く、映画の題名「FOXTROT」の本当の意味に気づいた気がしました。
「コミック」の悪戯書きで時間をつぶし、重機関銃を連射した青年は兵役の終わる日に谷底で命を失ったのです。父と母は遺品になった悪戯書きを受け取り、二人で静かに踊り始めるのでした。
受付で、パンフレットを買ってしました。劇場から出ると、台風の去った空は青空で、ぼくは、繰り返し「前へ、前へ、、右へ、ストップ。後、後、左へ、ストップ。」と、独り言を言いながら、神戸駅まで歩きまし。誰かが、そばで見ていたら、確実に危ない徘徊老人だったとおもいます。でも、無性にうれしかったのです。
もう、日が暮れていましたが、垂水から自宅まで歩きました。
「また、メモなしやん。どこいってたん?」
「でも、垂水から歩いてんで。」
「はいはい、映画行ってたん?パルシネマ?」
「いや、シネ・リーブル。、今日のは最高やで。観にいきや。話はな、あっ、いう たらあかんな。結構、オーソドックスな、映画!っていう感じやねんけど。うん最後まで謎があって。でも、アメリカの映画の感じとは違うな。」
「怖いん?辛いん?哀しいん?どれ?」
「うん、まあ、哀しいかな?泣いたな。でも、最近、すぐ泣くからな。途中、大丈夫、これは泣かんなやつやと思ってたら、泣かされた。アンナ、このチラシのこの子が踊るねん、砂漠の真ん中で、めちゃめちゃかっこええねん。ムーンウオークみたいなん。」
「ダンスなん?そういうの好きやわ。行こうかな。」
「うん、いきいき。アッ、でもチラシも読んだらあかんで。」
「エッ、読んでもた。」
「しゃーないな。」
スジ無しで、感想をいうのは、なかなかムズカシイ。ヤレヤレ・・・・
監督・脚本 サミュエル・マオス
撮影 ジオラ・ビヤック
美術 アラド・サワット
衣装 ヒラ・バルギエル
編集 アリック・レイボビッチ ガイ・ネメシュ
音楽 オフィル・レイボビッチ アミト・ポツナンスキー
キャスト
リオル・アシュケナージ(ミハエル)
サラ・アドラー(ダフナ)
ヨナタン・シライ(ヨナタン)
ゲフェン・バルカイ(軍の司令官)
デケル・アディン(缶を転がす兵士)
原題「Foxtrot」 2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス合作 113分
2018・10・01・シネリーブル神戸no32
追記2019・09・22
一年前に見た映画だが、いかにも映画らしい映画だった。一人の青年が、銃を抱えながら踊るシーンが、何よりも素晴らしい。
自動車で通りかかっただけの若者たちや、検問所で「勤務」している青年たちの「運命」を待っていたのは「戦場」の「事故」でした。
あらゆる戦場が、「事故」と呼ばれる苛酷な、そして悲劇的な出来事を、何故、引き起こすのか。
それは偶然の結果ではないことを突き付けられた映画でした。
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