|
カテゴリ:映画 パレスチナ・中東の監督
ナディーン・ラバキ―「存在のない子供たち」パルシネマ
2019年の秋にシネリーブルで公開されていた映画でした。予告編も繰り返し見ました。「見よう」という決心の踏ん切りがつきませんでした。2020年になって、パルシネマが「風をつかまえた少年」との二本立てで公開しました。二本ともが、封切りで躊躇した映画でした。 「そりゃあ、見とかんとあかんわよ。私は見ないけど。予告編で無理。」 というわけで、月曜日のパルシネマでした。 二本目の「風をつかまえた少年」から着席しました。 「あの、子役の子、すごい目えしとったねえ。どうやって見つけたんやろ。」 今見た映画に浸ってはるおばちゃんたちが元気にしゃべっていらっしゃいましたが、意に介さず。とりあえずコーヒーを一杯飲んで、来る途中で見つけた100円のカレーパンで腹ごしらえです。一本観終わって、外に出て一服。さあいよいよ「存在のない子供たち」です。 男の子が医者の診察を受けています。医者が驚いた様子で叫びます。 「乳歯がない。」 裁判のシーンが映し出され少年が両親を訴えています。 「ぼくをこの世に産み落とした罪で。」 次のシーンでカメラは空から街を映します。スラム街です。屋根が飛ばないようにタイヤが置かれているようで、それが上から見下ろした街の不思議な模様に見えます。動くものがが映し出されて、子供が銃撃戦ごっこをしているようです。ひとりの少年が木で作った自動小銃のおもちゃをもって路地を走っています。この映画の主人公、ゼイン君でした。裁判所で両親を訴えていた少年です。映画が始まりました。 彼は初潮の出血を経験したばかりの11歳の妹を、無理やり妻として娶り、妊娠させて「殺した」家主の男を刺した罪で少年刑務所に服役中です。 映画は路地を走っていた少年が裁判所で両親を訴えるまでの数か月の生活を映し出した作品でした。 ゼイン君は、初潮と同時に娘を売り払って口減らしをした両親と争い、家を飛び出しバスに乗ります。観覧車がまわる遊園地のある大きな町で身分証を持たない、エチオピアからの不法移民の黒人女性ラウルとその子供ヨナス君と出合います。ゼイン君が歩き始めたばかりのヨナス君の世話をして、母親のラウルが働きに行く、極貧ながら、ちょっと平和な生活が始まったと思ったのもつかの間でした。 不法就労でラウルが捕まってしまいます。何日も行方が分からないラウルを待ちながら、二人の生活は極まっていきます。「ここ」に居続けることに絶望したゼイン君は金を稼いで「ここ」から出て行こうと決心します。 カツアゲしたスケート・ボードに大鍋を乗せ、ヨナス君を座らせてロープで引っ張る「子連れ少年」の出来上がりです。回りに吊るしている小鍋はもちろん売り物です。 映画は全体的な構成の意図をはっきり感じさせる以外はドキュメンタリータッチで撮られています。二人の姿を追いかけて、後ろから青空を背景に映し出したところからゼイン君がヨナス君を捨てようとするシーンまで、「哀切」極まりない少年とやっと歩き始めた小さな子供の交歓は、演技のかけらも感じさせないドキュメンタリー、現実そのもの、生きている人間をそのまま映し出している素晴らしいシーンの連続です。 しかし、やがて、大家によって住まいから締め出され、隠していた脱出資金までも失ったゼイン君は万策尽きてしまいます。ついに彼はヨナス君を「人買い」に差し出し、「ここ」から出ていく金を手にします。これで出国に必要なのは「身分証明書」だけです。 しかし、「身分証明書」を求めて、久しぶりに帰宅したゼイン君が知るのは「出生証明書」さえない自分の境遇と妹の死でした。目の前の包丁を握り締め、階段を駆け下りていく少年を止める事が出来る「人」はいるのでしょうか? 映画の中でゼイン君は一度だけ笑います。モチロン、カメラマンに指示された作り笑いですが、その笑顔と引き換えに彼は「存在」の証明書を手に入れるはずです。 この映画の原題は「Capharnaum」、「混沌」とか「修羅場」という意味だそうです。邦題は「存在のない子供たち」でした。中々、センスがいい邦題だとも言えるかもしれません。見ている人は、ぼくも含めて最後のシーンに「オチ」を感じて納得するように題されているからです。でも、それは少し違うのではないでしょうか。 監督はキャスティングから、映画と同じ境遇の人たちから選んだそうです。映画に登場する人たちは、主人公も、ヨナス君も、ラウルさんも、ゼイン君の家族たちも、皆さん「存在のない」人たちばかりでした。 ひょっとしたら、彼らは実生活でもそうなのかもしれません。映像も徹底的なドキュメンタリー・タッチを貫いています。子役たちは表情の演技なんかしていたのでしょうか。「人買い」がどこかの金持ちのために横行している現実で子供たちは生きているのではないでしょうか。 「存在証明書」を手に入れる少年の笑顔に、ホッとして涙をこらえる事が出来ませんでした。しかし、本当に忘れてはいけないことはゼイン君もヨナス君も確かに「存在」しているということだったのです。 「どうやった?」 監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキ―Nadine Labaki ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.21 22:23:55
コメント(0) | コメントを書く
[映画 パレスチナ・中東の監督] カテゴリの最新記事
|