《2004年書物の旅(その13)》本村凌二「馬の世界史」(講談社現代新書)
読んでみると、新しい知識がふえて、なんか楽しくなる。頭が良くなったようの気がする。そんな本がある。ところがP.A.M.ディラック「一般相対性理論GENERAI THEORY OF RELATIVITY」(ちくま学芸文庫)なんて本はそんなふうに思えない典型。現代文の教科書に出てくる物理学用語が気にかかったから、手を出したのだけれど最初の10ページで、自分が実にアホだということに気づいただけで投げ出してしまった。
だって1ページめから(dx)-(dx)-(dx)-(dx)というふうな方程式がやたらでて来るんだもん。
まぁ、世界の最先端で、なに?最先端ではなくて、たんなる常識?うーん、そうかもしれない。ともかく、物理学で見れば世界はこうなっているということは結局、僕には一生わからないだろうということがわかって、まあ、なさけない気がした。もう授業でシッタカするのはやめようとつくづく思った。誰か解説してくれ!トホホホ。
それに引き換え、最近読んだ本村凌二「馬の世界史」(講談社現代新書)なんて本は実にわかりやすくて、おもしろい。著者は西洋古代史を専門にしている東大の先生であるらしい。東大だろうが、古代史だろうが日本語で書いてあるならこっちのものだ。
高校生が興味を持つのはどうかとおもうけれども20世紀の競馬の歴史に燦然とその名を残している「ネアルコ」というサラブレッドがいるのだそうだ。現在のサラブレッドはそのほとんどが、このイタリア産の名馬の血を引いているらしいのだが、本書は著者がその牧場を訪ねる話ではじまる。
というわけでぼくはこの本を競馬の歴史エッセイだとおもいこんで読み始めた。豈ハカランヤ、人類と馬の関係を世界地図片手に語っている壮大な世界史であった。
馬の家畜化の理由とその効用に始まって、世界史を動かした大事件の数々が馬と切り離しては考えられない所以が、実に興味ぶかくつづられている。戦車の歴史。騎馬遊牧民。アレキサンダー大王やチンギス・ハンの世界制服。例えばギリシア神話のポセイドンを解説したくだりはこうなっている。
ギリシア神話の中にポセイドンなる神がいることはどなたもご存知だろう。この神は「海の神」として知られるが、もっと古い時代には「馬の神」であったという。神話の中に奥深く残る伝承を読み解くと、「馬の神」ポセイドンの姿がとらえられるのである。その痕跡をとどめた逸話や図像も少なからず残存する。なぜ「馬の神」が「海の神」に変身したのか。そこには地中海世界の社会と文化を理解する重要な鍵が隠されている。
ギリシア神話の担い手であった人々は、もともと海をよく知らなかったのではないだろうか。彼等の原住地といわれる地域には、広大な海はない。しかし、そこに住み馬を飼いならしていた人々が、その神をポセイドンとして奉っていたとしても、けっして不思議ではない。やがて、西へ南へと移動した人々の中に、バルカン半島の南部に定住した集団がいた。彼らは。後にギリシア人と呼ばれることになる。この地に定住したギリシア人は、そこで広大な海を見て、やがてそこに浮かぶ船を工夫した。草原を疾駆する馬の姿は海原を帆走する舟の姿と重なっている。このため、古代の詩人たちは、船を「海の馬」とよび、馬を船にもたとえた。これらギリシア人にとって、海の恩恵は、馬の恩恵としてもその眼に焼きつくことになる。そこで、ポセイドンは「海の神」に変身し、ギリシア人が奉り祈願する所となったのである。
古代史の専門家である著者の面目躍如。こんなふうにナルホドそうなのかと、思わず膝をうつという解説が、あちこちにあるのが本書の特徴だが、馬という動物を主人公に据えて歴史を見るとユーラシアの中央部から世界史がはじまり、広がっていくということが実感される。
ぼくらの習った世界史がヨーロッパ中心であったり、中国中心であったり、文明の偏りのままに偏っていたことをおもうと、実に斬新だ。
そういえば日本中世史の研究者で、今は亡き網野善彦が「馬・船・常民」や「東と西の語る日本の歴史」(両方とも講談社学術文庫)で東国と西国というこの国の文化圏の由来を興味ぶかく捉えていたのも、馬がキー・アニマルだった。
古典の教科書の今昔物語集「馬盗人」には東国を本拠地にする清和源氏と馬の関係がリアルでしょ。網野善彦の本はそのあたりの解説になっているんです。
ああ、それから「世界史の誕生」(ちくま文庫)や「モンゴル帝国の興亡」(ちくま新書)でユーラシアの真ん中に世界史の始まりがあると説いている東洋史の岡田英弘というおもしろい人もいるなあ。
日本史とか世界史とかにとらわれず、歴史を書いている本と出合うと頭が良くなった気がするというお話でした。読めば、あなたも頭が良くなる気がするかも?(S)追記2020・02・15
受験制度の「改革(?)」がらみの お粗末を文部省だかが露呈させていますが、「歴史」が高校生の頭から消え始めて20年以上たちました。「アレクサンダー大王」も「チンギス・ハン」も、もちろん「ポセイドン」も知らない高校生が当たり前になっていますが、現在30代の社会人の皆さんの大多数が、そういう人たちで構成されているのではないでしょうか。
「事実」を修正して、「自らに都合よく語ること」を恥としない人たちが跋扈し、他国の人々を罵って自らを省みない風潮が世を覆っているようですが、ひょっとしてこういう社会を作るために、「教育改革(?)」とかは繰り返されてきたのではと思うと、ちょっとがっくりしてしまいます。
「歴史」であれ、「科学」であれ、「本当のこと」を知ることを楽しむ生活をしたいものです。
ああ、そうです。「馬の世界史」は現在では「中公文庫」で読めるようです。本村凌二の素人向けの本は、他にもたくさんあります。
それから、《2004年書物の旅》(その1)・(その2)・(その11)・(その12)・(その14)はここをクリックしてみてください。
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