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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
今福龍太「霧のコミューン」(みすず書房) 今日の案内は、まあ、学者さんの評論集ということもあって、なかなか、こんな本というふうには案内しづらいのですが、ボク的には、かなり引き込まれたことは事実なわけで、とりあえず案内しておこうと思います。 今福龍太「霧のコミューン」(みすず書房)。2024年7月の新刊です。 著者の今福龍太という人は、まあ、文化人類学というあたりがご専門の学者さんで、「群島」とか、「クレオール」とかいう言葉に惹かれて、あれこれ齧り読みさせていただいてきていて、お名前とお仕事の輪郭だけは存じ上げていたのですが、この夏、何となくパレスチナが気になっていた時に、市民図書館の新刊の棚にこの本があって、ちょうど読んでいたゴンティソーロというスペインの作家の「パレスチナ日記」(みすず書房)が、この本の中のいくつかの文章でジャスト・ミートしていることに気付いて借り出しました。 ボク自身と、ほぼ、同世代の方であることを、再認識しながら、その思考の方向性に、強く誘惑されました。 で、まあ、思考の方向性とかいってもなんのことだかわかりませんが、「現代」という時代を生きていくうえでの考え方の構えのような事ですね。 それを、彼は「霧」という自然現象を象徴的なイメージとすることで語っています。 まあ、説明しようがないので緒言のなかの一節を引用しておきます。 「霧のコミューン」とは何か。この謎めいた符牒のような言葉に私があるときからこめようとした意味。それは第一に「予兆」をめぐるものである。霧は、霧の向うに見え隠れする何かをつねに暗示する。来るべき何かを。しかしその「何か」を明らかにすることが重要なのではない。むしろ何かわからないものがそこにあり、それが私たちの真実を撃つためにいつか顕れてくるかもしれないと感じるときの、その兆しを繊細に感じとる間隔こそが、霧の本性であるように私には思えた。その意味で、霧のコミューンとは予兆を予兆として感受し、そこに希望を認め、その予兆を大切に育もうとする共同体(コミューン)のことである。 えらく長い引用になりましたが、ボク自身は、当分、この今福龍太の道案内で、 霧のなかを彷徨う ことになりそうです。いずれ、彷徨い先については、折りにふれて報告することになると思いますが、今日はとりあえずここまでです。 ついでなので目次と出版社がまとめている来歴を載せておきます。
今福龍太(いまふくりゅうた) 1955年東京生まれ。文化人類学者・批評家。東京外国語大学名誉教授。メキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジル、奄美・沖縄群島などで広範なフィールドワークを行う。国内外の大学で教鞭をとり、2000年にはサンパウロ大学客員教授、2003年にはサンパウロ・カトリック大学客員教授などを歴任。2002年より、奄美・沖縄・台湾を結ぶ遊動型の野外学舎〈奄美自由大学〉を主宰。奄美では唄者、沖縄では吟遊詩人としても知られる。詩誌『KANA』同人。主な著書に『ここではない場所』『ミニマ・グラシア』『薄墨色の文法』『ジェロニモたちの方舟』(以上、岩波書店)、『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(みすず書房・讀売文学賞受賞)『ブラジル映画史講義』(現代企画室)『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(新潮選書・宮沢賢治賞/角川財団学芸賞受賞)『ボルヘス「伝奇集」 迷宮の夢見る虎』(慶應義塾大学出版会)『原写真論』(赤々舎)『言葉以前の哲学 戸井田道三論』(新泉社)など多数。主著『クレオール主義』『群島-世界論』を含む著作集『今福龍太コレクション《パルティータ》』(全五巻、水声社)が2018年に完結。
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最終更新日
2024.11.11 01:41:06
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