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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.02.26
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​​​​大沢真幸「不可能性の時代」(岩波新書)・「虚構の時代の果て」(ちくま新書)


​​              註:この記事は2008年に高校生にむけて書いたものです。
 
京都大学の社会学教授大沢真幸(おおさわまさち)の新しい新書が出ました。「不可能性の時代」(岩波新書)です。

 1995年3月、オーム真理教という仏教系の新興宗教の信者たちがサリンという有毒ガスを発生させる化学物質を使用して東京の地下鉄で無差別テロ事件を起こしたことは、さすがに高校生諸君でも知っているでしょうね。
 オーム真理教はそれ以外にも、いくつかの殺人事件を起こしていたことが発覚し、阪神大震災直後の不安な社会を、まさに震撼させた事件でした。
 この事件を狂気の集団の起こした猟奇的事件というふうにスキャンダラスに取り上げた出版物が山のように垂れ流されました。しかし、宗教的原理主義の問題として真摯に取り扱ったり、この国の戦後社会の変遷の中に位置づけた論考というのは、ぼくが知る限り、案外、少なかったのが印象に残っています。ものを書く人々や、出版社は事件そのものに触れることをタブーとして避けているんじゃないかという、社会全体に対する「疑い」のようなものを感じた記憶があります。
 そんな中で、当時、千葉大学文学部の助教授だった大沢真幸「虚構の時代の果て」(ちくま新書)という新書で真正面から、果敢に論じているのを読んで胸がすく感じがしたものです。
 事件から1年後に出版されたこの本は1945年の敗戦から1995年の50年間を二つに分け、「理想の時代」・「虚構の時代」と彼が名付けた「二つの社会」として取り扱っています。
 戦後25年間は、新しい理想の社会の建設がこの国の、所謂、コンセプトでした。「戦後民主主義」「経済成長」という理想を人々が信じた時代だったというわけです。その社会のゴールは1970年に催されたエキスポ70と連合赤軍事件だというのが著者の意見です。
 それに対して、70年以降は「バーチャルリアリティ」ということばが象徴する社会。たとえば、東京ディズニーランドという虚構の世界で、ありえないミッキーとの出会いに夢中になる人々がこの社会を象徴しています。そこには、常識的には空想の産物としか考えられない「世界最終戦争-ハルマゲドン」を現実化しようとしたオーム真理教のような集団が登場してきます。しかし、それは、ある意味で必然的だというのがこの本の文脈だといっていいと思います。
 ここで、「ある意味」というあいまいな言い回しをしましたが、そのあたりのは読んでいただかないとしようがないと思いますが、「戦後社会論」としては屈指の好著だとぼくは思いました。

 さて、それからほぼ15年の歳月がたち、新たに「不可能性の時代」(岩波新書)が今年、4月の新刊として世に問われています。
 時代区分は前著を引き継いでいて1995年以降の社会は「不可能性の時代」と名づけられています。大沢はこの著書の中で現代社会を「激しく暴力的で地獄のような現実」への欲望と、「危険性や暴力性を極力排除したコーティングされた虚構のようなもの」への希求という二つの矛盾するベクトルに引き裂かれていると分析しています。
 たとえば、コンピューターゲームの中で展開する血まみれの暴力の世界と、テレビコマーシャルで繰り返される無臭で清潔な現代的生活というキャンペーンを考えてみるとよくわかるかもしれませんね。そして、この二つの世界を同居させている私たちの「リアリティ―生きている実感」を支えている、「Xでありたい」という願望の「X」に代入されるべきものが「不可能性」とでも呼ぶほかないというのが本書の骨子です。
 この「X」とは、たとえば高校生が「数学が得意であったら。」とか、「誰も傷つけずにいられたら。」とか、反実仮想的に現実に対置させて、現実を評価したり、自らを励ましたりするような、モラルとか、理想とかいった事柄だと考えられるでしょう。
 ちょっと考えればわかることですが、空想や意識の領域で矛盾した事柄を同時に体現することは、さほど珍しい事ではありませんね。しかし、矛盾した空想を同時に現実化する欲望に取り付かれてしまうとどうなるのでしょうか。
 本書によれば1990年以降、精神医学では「解離」と呼ぶと思いますが、一般に「多重人格」と呼ばれている病が世界的に流行しているそうです。確固とした「アイデンティティ―・私とは誰か」をシンプルに維持することが困難な社会にあって、場合に合わせて自己を変えてゆくことで生き延びているということなのでしょうか?​​
 ​​​​
​​​​ともあれ刺激的な一冊であることはまちがいないと思います。(S)

追記2020・02・25

 大沢真幸は、その後京都大学の先生をやめて​、所謂、著述業に専念するようになりました。「不可能性の時代」が出版されたのは2008年の4月ですが、そのころ「虚構の時代の果て」はチクマ学芸文庫で再刊されています。​​​

​​ この後、彼は「世界史の哲学」シリーズとか「 自由論」をめぐる大著を次々と発表しながら「THINKING『O』」(左右社)という雑誌を出したり、もう、ついて行くのが大変なお仕事ぶりです。ちなみに、この雑誌の創刊号には中村哲との対談が掲載されています。
 ぼくにとっては、少しづつ「案内」したいと思っている人の一人ですが、なかなか大変です。

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最終更新日  2020.12.11 08:50:06
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