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カテゴリ:映画 イタリアの監督
ジョバンニ・ピスカーリオ「ゴッホとヘレーネの森」シネ・リーブル神戸
シネ・リーブルではしご鑑賞。梯子を見たのではありません。ピーター・ジャクソンのドキュメンタリーを見終えてロビーにでてくると、ちょうどこの映画の入場案内が始まっていました。 「これも、ドキュメンタリーか?こっちは普通かな?」 そんなことを考えながらエスカレーターで地上に出ました。京町筋にある喫煙コーナーまで歩いて、ボンヤリタバコを喫って、Uターンしました。 美しい美術館、何だかとても美人の女性が紹介しています。中々落ち着いた出だしでした。ヘレーネ・クレラ=ミュラーというオランダのお金持ちのコレクターの紹介映画のような始まりでした。 おや、彼女について詳しくやるわけではなさそうです。ゴッホの画風や手紙の話になっています。絵の管理や保存の様子もあります。紹介の美人俳優が時々出てきますが、必然性は感じません。 ぼくは高校時代に初めて読んだ小林秀雄の「ゴッホの手紙」を思い出していました。目の前で解説されているゴッホと彼の弟テオとのやり取りも、ゴッホ自身の苦悩も、南フランスへの旅も、ゴーギャンとの葛藤も、浮世絵の影響も、みんなその時に知ったような錯覚に浸りながら美しい画面に見入っていました。 実をいえば、「ゴッホの手紙」を読んでから、あれこれ読んだはずなのですが、みんな忘れてしまっていて、小林秀雄のゴッホを描き出す「手つき」に対する20歳の驚きがすべてを忘却の彼方に押しやっているにすぎません。ぼくの中ではゴッホといえば小林秀雄になってしまっているのです。 何だか、思い出劇場のように映画は終わりましたが、とても感心したことがあります。 絵画に対して、カメラが、いったん異様なまでに近づいていきながら、引いていくにしたがって変化してゆく絵の見え方を実感したことです。細密なタッチが全体の色彩感と光の印象を作り出していました。これは、今まで 美術館では気にも掛けなかった「リアル」でした。音楽はデジタル録音でいいし、絵は写真でいいやなどと考える 雑な発想のダメさを感じました。 小林秀雄に入れ込んでみていると、こういうことは永遠に分からないと思います。罪作りな話ですね。 もう一つは顕微鏡で覗き込んだ絵の表面ですね。TVの教養番組でも見たことがある気がしますが、ニスのようなものが塗られた表面の劣化が如実にわかります。こういうのを修繕するのかと、いたく感心しました。 ヘレーネという人が、いったいどれくらいのお金持ちなのかということが、最後まで気にはなりましたし、映画全体の雰囲気が気どっているのが、少々鼻につく感じはしましたが、こういう「ものしり」映画は好きです。 映し出される「絵」や「風景」はどれも美しいし、ピーター・ジャクソンの「生き生きとした死体の山」に疲れた心を癒すには絶好の映像でした。というわけで、「はしご」鑑賞でしたが疲れは感じませんでした。その上、中々、勉強にもなりましたよ。 監督 ジョバンニ・ピスカーリオ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.03 21:20:38
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