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カテゴリ:映画 イタリアの監督
ファリボルス・カムカリ「水と砂糖のように」神戸アート・ヴィレッジ・センター
ゴジラ老人シマクマ君の映画館徘徊、今日は神戸アート・ヴィレッジの「復活の日」です。実際にはアート・ヴィレッジは先週の土曜日から復活していたようですが、土・日を何となく避けて、今日が復活の日です。 ミケランジェロ・アントニオーニ『愛と殺意』『赤い砂漠』『欲望』。 半分も見てはいませんが、アントニオーニ、ヴィスコンティ、ロッセリーニ、ときて、ウディ・アレンですよ。これは見ないわけにはいかないじゃありませんか。というわけで、結構、勢い込んでやって来ました。 で、受付でチケット買う時に面白い体験をしました。カメラ上の機器の前に立つと受付のお嬢さんが,おもむろにおっしゃいました。 「36度3分。大丈夫です。」 笑いそうになりました。ここ数年、健康診断とかで36度を超えたことがなかったということもありますが、身体に触れることなく、突如、体温を測られるという不思議ですね。 ようやく、地下のホールに入場です。始まりました。知らない女性が映画について語っています。カルロ・ディ・パルマを紹介しています。続いてスクリーンに出てきたのがケン・ローチ、ベンダース、オオ、オオ、って言う感じです。 映像は過去のフィルムと撮影者カルロと、彼と一緒に仕事をした監督や俳優の語りです。 構成、色、明るさ、焦点対象、カットの時間、具体例で示されてゆく「映画」のできあがり方です。 今となっては懐かしい記憶の中ですが、アントニオーニの映画の衝撃的な赤のイメージや、最初に見た時からハリウッド映画ではない印象で、それがウッディ・アレンの「けだるさ」としてぼくの中にあったものに、方法上の根拠があったことが示されていくのはとても刺激的でした。 もしも、今から、二十代の頃のような映画に対する執着を自分のなかに掻き立てる気があるのなら、ぼくはこの映画を繰り返し見て、引用されている作品をなんとか見ようとするでしょう。 ただ、「いいなあ」と思うだけではなくて、そんなふうに感動してきたシーンが、 どうやって「創作」されてきたのか! 映画が監督一人によってではなくて、撮影者や音楽家や、大勢のスタッフによる共同作業で出来上がっていることは知っているつもりでした。しかし、「映像」は作られているという、考えてみれば、当たり前の事実を、こんなに直接的に突き付けられたのは初めてでした。 ヴィスコンティやデ・シーカ、そして誰よりもウディ・アレンの映画をもう一度見たいと、マジ、思いました。 それらの映画には、ぼくにとっては決して見たことのある映画ではすませられない、「新しさ」に満ちているに違いないのですからね。 まあ、ノンビリ、どこかで上映してくれるのを待つことにしたいと思います、 アート・ヴィレッジの「復活」の日も、やはり、ニュー・シネマ・パラダイスの夢を掻き立ててくれました。 それにしても、カルロ・ディ・パルマって「男前」だと思いませんか。ぼくはピアニストのポリーニを思い出したのですが。 監督 ファリボルス・カムカリ 製作 アドリアナ・キエサ 脚本 ファリボルス・カムカリ キャスト ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.18 10:37:32
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