|
カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
北村薫「詩歌の待ち伏せ 上」(文藝春秋社)より
石垣りん「略歴」(詩集『略歴』所収)
北村薫が詩人の石垣りんの講演会を聞きに行った時のエピソードです。 石垣さんに「略歴」という詩があります。幸い、石垣さんの詩集は、今、手に入りやすくなっています。全文引く必要はないと思います。 「略歴」は《私は連隊のある町で生まれた。》と始まり、《私は金庫のある職場で働いた。》と続き、《私は宮城のある町で年をとった。》と閉じられます。まさに日本の現代史がそこにあります。 その講演からさらに十五年が経ってしまいました。 エピソードの概要だけ抜き出して引用しましたが、北村薫は「詩」の中で使われる「ことば」について、もっと丁寧に語っていますが、結論はこうです。 しかし、詩では困ります。《最終的に意味がわかればいい》というものではありません。説明が一つはいるのと、いわずもがなの言葉として、直接、通じるのとでは、胸への響き方が違うでしょう。かといって、これを《皇居》と言い換えたら、もう別のものになってしまいます。難しいものです。 おそらく、北村薫はここで二つのことを問題にしています。一つは「詩」の言葉についてです。しかし、彼が困ったものだという「実感」の喪失は、外国の詩や古典の和歌の中では、しょっちゅう起こっていることで、常識的な言い草ではありますが、いまさらという感じもします。
略歴 石垣りん 北村薫の、このエッセイは「オール読物」という雑誌に連載されていたようです。2000年に書かれています。 《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。 1949年生まれの北村薫は40代半ば、1990年代の初頭まで、公立高校の教員を続けていた人らしいのですが、彼は現場で、この現象と出合っていたはずではなかったということなのです。 それは、例えば、前後を読んでいただかなければ何を言っているのかわからない言い草ですが、このエッセイの文章にも現れているように思います。 最近「太宰治の辞書」という彼のミステリーを初めて読みました。この場合は「生徒」役は読者でしょう。楽しく読んだ「読者=生徒」の当てずっぽうですが、あの作品の構成なども、どこかの教室で何の関心も知識もない生徒相手に「考えるべき問題」を「謎」として設定し解き明かしていく展開に、教員の苦労が滲んでいると感じさせらるのですね。
ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.02 00:22:41
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「近・現代詩歌」] カテゴリの最新記事
|