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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.07.10
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​​北村薫「詩歌の待ち伏せ 上」(文藝春秋社)より
 石垣りん「略歴」(詩集『略歴』所収)


 ​作家の北村薫「詩歌の待ち伏せ」(文藝春秋社)というエッセイ集を読んでいて、面白い記事に出会いました。​​

​​ 北村薫が詩人の石垣りんの講演会を聞きに行った時のエピソードです。

​​石垣さん「略歴」という詩があります。幸い、石垣さんの詩集は、今、手に入りやすくなっています。全文引く必要はないと思います。
 「略歴」《私は連隊のある町で生まれた。》と始まり、《私は金庫のある職場で働いた。》と続き、《私は宮城のある町で年をとった。》と閉じられます。まさに日本の現代史がそこにあります。
​ ところが、石垣さんは、《私はびっくりしてしまいました》とおっしゃいました。伝え聞いたところによると、なんと、《大学を出て社会人になった方》が、「この詩の最後の《宮城》ってなんだろうね」といったそうです。
 私も、びっくりしました。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。
 その講演からさらに十五年が経ってしまいました。

 エピソードの概要だけ抜き出して引用しましたが、​北村薫​は「詩」の中で使われる「ことば」について、もっと丁寧に語っていますが、結論はこうです。

​​ しかし、詩では困ります。​《最終的に意味がわかればいい》​というものではありません。説明が一つはいるのと、いわずもがなの言葉として、直接、通じるのとでは、胸への響き方が違うでしょう。かといって、これを​《皇居》​と言い換えたら、もう別のものになってしまいます。難しいものです。​​

​ ​おそらく、北村薫はここで二つのことを問題にしています。一つは「詩」の言葉についてです。しかし、彼が困ったものだという「実感」の喪失は、外国の詩や古典の和歌の中では、しょっちゅう起こっていることで、常識的な言い草ではありますが、いまさらという感じもします。
​​ 気にかかるのはもう一つの方でしょう。この詩で言えば「宮城」という言葉が、若い読者には、ニュアンスどころか意味すら通じないという現象についてです。
 ここで、石垣りん​「略歴」​を載せてみます。どうぞ、お読みください。写真も載せてみました。​​いい表情ですね。


             
 NHK人物録

  略歴    石垣りん 


私は連隊のある町で生れた。

兵営の門は固く
いつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち
番所には営兵がずらりと並んで
はいってゆく者をあらためていた。
棟をつらねた兵舎
広い営庭。

私は金庫のある職場で働いた。

受付の女性は愛想よく客を迎え
案内することを仕事にしているが
戦後三十年
このごろは警備会社の制服を着た男たちが
兵士のように入口をかためている。

兵隊は戦争に行った。

東京丸の内を歩いていると
ガードマンのいる門にぶつかる。
それが気がかりである。

私は宮城のある町で年をとった。

                  詩集『略歴』1979年​

​​

​ 北村薫の、このエッセイは「オール読物」という雑誌に連載されていたようです。2000年に書かれています。
 言葉通りにとれば、この講演会は1980年代の中ごろのものと思われますが、
ぼくには、上で引用した文章で少し気にかかったところがありました。
 誤解しないでください。
北村を責めるためにこんなことを言い始めたのではありません。ぼくが、「えっ?」と思ったのはここでした。

《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。

 1949年生まれの​北村薫​40代半ば、1990年代の初頭まで、公立高校の教員を続けていた人らしいのですが、彼は現場で、この現象と出合っていたはずではなかったということなのです。
 「戦後文学」や「現代詩」の名作が、生徒たちにとっては、まったく理解できない祖父母の世代の「ことば」として響き始めたのはいつごろからだったでしょう。
 それは高度経済成長の終盤、80年代の中ごろの教室だったと思います。そして彼は、その教室を経験していたに違いないし、そんな教室で「国語」の教員だった彼は、きっと「誠実」に苦闘していたに違いないというのが、ぼくの感想です。

 それは、例えば、前後を読んでいただかなければ何を言っているのかわからない言い草ですが、このエッセイの文章にも現れているように思います。

​ 最近「太宰治の辞書」という彼のミステリーを初めて読みました。この場合は「生徒」役は読者でしょう。楽しく読んだ「読者=生徒」の当てずっぽうですが、あの作品の構成なども、どこかの教室で何の関心も知識もない生徒相手に「考えるべき問題」を「謎」として設定し解き明かしていく展開に、教員の苦労が滲んでいると感じさせらるのですね。
 彼はきっと「ことば」の「あったはずの」実相について、「詩」が生まれた時代や社会の真相に迫るべく、実に丁寧に面白く語る教壇の「噺家」だったのではないでしょうか。
​ もちろん、この詩の「宮城」という言葉の「実相」は、その言葉が口をついて出てくる世代の人々の「人生」であることは言うまでもないでしょう。が、それを、知らないという人に、わかるように語ることは「難しいもの」なのです。

 


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最終更新日  2020.12.02 00:22:41
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