「100days100bookcovers no15」(15日目)
須賀敦子『ミラノ霧の風景』全集第一巻 河出書房新社
2日も空いてしまいました。すみません。どこへ繋がって行くのか、ヒヤヒヤして毎日見ていました。SODEOKAさんが『わたしの小さな古本屋』を挙げられてから、古本屋繋がりならこの小説と心ひそかに決めているものはあったのですが。
あにはからんや。KOBAYASIさんが出した名前は堀江敏幸だった。あら、困った。読んだことないわ。
ただ、ラジオの朗読番組で彼の短編を聞いたことがあるかもしれません。ストーリーに起伏はないのに、妙に忘れられない話があった気がします。遠くからそっと亡き友人の妹を気にかけ続ける主人公。その心情が淡々と語られていました。最後は主人公は彼女とその子と、川か海で石切りをするという終わり方ではなかったかな。ぼんやりとしているのですが、何故か心に残る作品でした。
それなら今仕事がらみの『海辺の~』という作品を紹介できると思いついたのです…。ところが、さきのの水辺に出かける短編の題名はわからないままだし、そもそも堀江敏幸がそのような作品を書いていたのかどうか見つけられませんでした。ひょっとしたら、睡眠用ラジオで私が勝手に夢見たのかもしれません。これも諦めるとなると…。
仕方なく、堀江敏幸をWikipedia検索すると、「影響を受けたもの」のところに、「須賀敦子」の名前がありました。やれやれ、やっと気がついたのと言われそうですね。
須賀敦子を知ったのはテレビでした。もう20年くらい前でしょうか。その奥行きの深い文章の朗読を聴いたとき、忘れられなくなりました。それ以来随筆をときどき読んできましたが、どこの図書館にも必ず置いてあって待たずにすぐ借りられるため、自分の物にしたことがなかったのです。須賀先生すみません。昨日急いで職場の図書館に行くと装丁の美しい個人全集8巻がありました。ちなみに第3巻の解説者はなんと堀江敏幸でした!
彼女は1950年代にイタリアに留学し、ミラノのカトリック左派運動の中心だったコルシア書店で仕事、運動をして仲間として受け容れられていく。そこでペッピーノと出会い結婚。彼に導かれ支えられ翻訳の仕事もますます充実させるが、夫は41歳で病死する。その頃から文革の影響で運動も難しくなり仲間も離散していく。61歳で『ミラノ 霧の風景』を発表。デビューしたときはすでに大家だったと誰かが言っていたと思います。
『ミラノ 霧の風景』を一昨日から読んでいます。
「夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う。十年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に「霧」と答えるだろう。」
(ミラノ霧の風景・冒頭)
ひらがなが多い柔らかい文です。「霧の日の静かさが好きだった」「ミラノ育ちの夫」の思い出や、友人の弟が濃い霧で事故死した時のことなど、「あの霧が静かに流れる」ミラノやイタリア時代に触れたさまざまなものことがありありと描写されています。彼女の筆は人物描写をするとき、ひときわ冴えるようです。適格で端正でいて温かさがこもっています。最初の一筆が素早く正確で、そのあとは温かい線を重ねていくといった感じでしょうか。
――ガッティは、あの忍耐ぶかい、ゆっくりした語調で、原稿の校正の手順や、レイアウトのこつを教えてくれることもあった。すこしふやけたような、あおじろい、指先の平べったいガッティの手が、編集用の黒い金属のものさしで行間の寸法を測ったり、紙の角を折ったりするのを、私はすいこまれるように眺めていた。全体のじじむさい感じとは対照的に、よく手入れされた神経質な手だった。――
(「ガッティの背中」より。愛情あふれたポートレートです。)
イタリア文学の深さ、広さを手に入れた人が日本語を活かして書いた文章。私が評するのは荷が重すぎます。勁くて静かで美しい文章です。
KOBAYASIさんが書かれていたように、あらためて読みたい本と出逢える喜びがありました。 SIMAKUMAさん、遅くなってすみません。次をよろしくお願いいたします。(2020・06・04 E・DEGUTI)
追記2024・01・20
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