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カテゴリ:映画 イタリアの監督
フェデリコ・フェリーニ「アマルコルド」元町映画館
映画.com フェリーニ映画祭のプログラムの1本です。何故か「フェリーニのアマルコルド」と呼ばれがちですが、題名は「アマルコルド」です。あの淀川長治さんが愛した映画の1本としても有名な映画だと思います。ぼくは20代で見ましたが、今回は久しぶりの再会でした。 綿毛が雪のように降ってきて、街の真ん中に薪やがらくたの大きな山が作られて、山のてっぺんには女神の人形が座らされ、盛大に燃え上がる焚火が冬の女神を焼きつくしていきます。人々は喜びに満ち溢れています。イタリアの田舎町に「春」がやって来たのです。 「アマルコルド」という、変てこな題名は、この町の方言で、「わたしは覚えている」という意味だそうですが、映画は、そろそろ「春」がやって来たらしい少年チッタの「思い出」の日常がコラージュされている趣で描かれています。 格別な筋立てがあるわけではありませんが、印象的なシーンが重ねられていきます。 燃え上がる火柱、盲目のアコーディオン弾き、気がふれた娼婦、中学生のいたずらに叫ぶ女性教員、霧に浮かびあがる豪華客船、ファシストの行進、拷問される父親、そして母親の死。 しかし、何よりも町一番の美女クラディスカをめぐる、笑うに笑えないエピソードや、女性たちの肉感的な姿態をクローズアップした数々のショットに少年の日の忘れられない「思い出」が詰まっているようでした。 街が埋もれてしまうほどの大雪の冬がやって来て、やがて綿毛の舞う春を映し出しながら映画は終わりました。 15歳だった少年の思い出の一年が、これほどまでに「分厚く」描かれていたことに、20代のぼくは気付くことができませんでした。当時、笑うしかなかった少年たちの「愚かしさ」こそが、実は、人間にとって「生きている」ことそのものの経験だったのではないかと感じるほどに、ぼくも年を取ったというわけなのでしょうか。 ただ、映画を見終わって、この所、困ったことがぼく自身の意識の中に起こっています。町を歩いていて女性のお尻が気になって仕方がないのです。 理由ははっきりしています。この映画のカメラは、なぜだかやたらに女性の「おしり」を追いかけるのです。まあ、ぼくがそういうふうに見ただけのことかもしれませんが、劇場では、女性たちに気を惹かれるというわけでもなく、ただ、ボンヤリ見ていたのですが、映画館を出て、街を歩きはじめてすぐにわかりました。 頭の中では、「アマルコルド」という題名の意味を思い出そうと、結構、まじめに考えこんでいたのですが、目は、そのあたりを歩いている女性たちのお尻を追いかけている具合なのです。 なんなんでしょうね。チッタの「思い出」を見ることで、ぼくの「若かりし日」の深層心理が動き出したのでしょうかね。まあ、そういう意味でも「少年」の心を見事に描いた映画でした。拍手! 監督 フェデリコ・フェリーニ 製作 フランコ・クリスタルディ 原案 フェデリコ・フェリーニ トニーノ・グエッラ 脚本 フェデリコ・フェリーニ トニーノ・グエッラ 撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ 美術 ダニロ・ドナティ 衣装 ダニロ・ドナティ 編集 ルッジェーロ・マストロヤンニ 音楽 ニーノ・ロータ キャスト ブルーノ・ザニン(チッタ) マガリ・ノエル(グラディスカ) プペラ・マッジョ(チッタの母) アルマンド・ブランチャ(チッタの父) チッチョ・イングラシア 1974年・124分・イタリア・フランス合作 原題「Amarcord」 日本初公開:1974年11月16日 2020・10・26元町映画館no59 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.03 23:43:57
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