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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.11.16
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​​​​​冨原眞弓「ミンネのかけら」(岩波書店)


​ 市民図書館の新刊の棚で、何の気なしに手に取った本です。著者名に、何となくな記憶はありましたが、書名の意味もわからないし、「ムーミン谷へと続く道」という副題に惹かれたわけでもありません。​
​ まあ、誰もさわっていない新しい本がうれしいといういつものパターンで借りてきました。読み始めて、作者の名前に何となくな記憶があった理由はすぐにわかりました。この所、岩波文庫で新訳が出ていることが気にかかっていたシモーヌ・ヴェイユの研究者で、その新しい訳者その人でした。​
​​​ 著者である冨原眞弓さんは関西の田舎町から上京した女性で、本書では、東京の学生寮の書棚で見つけた、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユとの出会いから始まった哲学者としての半生が語られてきます。
 こう書くと、還暦を過ぎた哲学者が自らの思索の「記憶(ミンネ)のかけら」を呼び起こし、淡々と、素人には面白くもおかしくもないエッセイがつづられていると、まあ、ぼくも想像したのですが、ちがいました。​​​

​​ 書名に出てくる「ミンネMinne」という言葉はドイツ語では「宮廷の愛」にはじまって、「記憶」・「回想」という意味でも使われる言葉のようですが、たしかに「ミンネのかけら」と題されているように、「思い出」がつづられていることは間違いありません。しかし、このエッセイは、彼女の人生そのものを動かした数人の友人との「出会い」と「友情」の物語でもあるのです。​​
​​​​​ この本に登場する友人たちで、特に印象に残った人が四人いました。一人は留学先のパリで出会った女性彫刻家フラン。二人目、三人目は世界旅行の途上、彼女の自宅に泊まったグニーラマリというスウェーデン人の二人の女性です。そして四人目は、あの「ムーミン」の作家トーヴェ・ヤンソンでした。​​​​​
​​​ もちろん、彼女が書物として出会い、研究の対象にしたシモーヌ・ヴェイユや、教えを受けたソルボンヌの碩学ジルベール・カーン、インド人の女性マリ・ドミニクの「思い出」も興味深く語られているのですが、ぼくの印象に残ったのは上記の四人の女性の「生きざま」でした。​​​
​​ 冨原さんは最終章に、友人であるフランスの彫刻家フランのこんな言葉を記しています。​​
​​「神さま、もし、わたしがこの試練を生きのびることができたら、これからは好きなことだけを、そうです、やりたいことだけをやると誓います。ひとの思惑とか、まわりの都合とかではなく。神さま、わたしをいきさせてください。」​​
​​​​「いつもは、自分の帰りを家でじっと待っていてほしいくせに、たまには、はなやかなパーティーとかに、着飾った妻を連れていきたい人だった」夫を捨て、二人の子どもと別れ、彫刻家として生きようとアトリエを探しだしたフランを襲った蜘蛛膜下出血の最中、救急車に載せられて病院へ運ばれていく車中での言葉です。
 フランさんの夫との別れや、病後のリハビリの格闘といった、前後の詳しい経緯は、本書を手に取っていただくほかはありませんが、冨原さんは、続けてこんなふうに書き記しています。​​​​

 わたしはこの言葉に呼応するスウェーデン語の言葉を知っている。その人も芸術家だった。しかも作家でもあったので「ほんとうにたいせつなものがあれば、ほかのものすべてを無視していい。そうすればうまくいく」と自伝小説の主人公に語らせた。
​ この作家、当時85歳のトーヴェ・ヤンソンに、わたしが最後にあったのは1999年の暮れである。​
​​​​​​ 自分の人生を、自分で切り開いていった二人の芸術家の言葉を、重なり合う「ミンネ」として書き記しているところに、冨原眞弓という哲学者の「生き方の流儀」浮かび上がってくるようです。​​
 フランさんの彫刻は冨原さんの住まいの玄関に飾られて​いるそうですが、最後にあった、この日、ヤンソンさん冨原さんにこう言ったそうです。​​

​​「ひみつをひとつ。いい?私はもう小説が書けない。そう、何にも書けない。これはひみつだから、だれにもいってはならない。いいですか?」​​
​ ​​この時、彼女が耳にした、トーヴェ・ヤンソンの最後の言葉です。この言葉をここに記した哲学者冨原眞弓は、おそらく、自らのたどり着くべき場所を思い浮かべているに違いありません。​​
​ 本を閉じて、著者について調べてみて、驚きました。なんと、冨原眞弓さんは、我が家の同居人と同じ高校の出身で、年齢もさほど違わない人だったのです。​
​​ 播州の北部に位置する織物の町で育った、同じような世代の少女が、地球のずっと向う側、フィンランドの町でムーミンの作者と出会う「旅」は、それだけで、かなりドラマチックな「物語」が浮かんでくるのですが、ぼくの前には、そんな女性が新しく訳したシモーヌ・ヴェイユ​という「山」が、まず、立ちはだかったというわけでした。
 いやはや、いまさら「生き方」にこだわる気持ちはないのですが、この女性が、とりあえず、今、たどり着いた場所を、ぼくなりに見定めたいという「誘惑」が、やはり、湧いてきてしまう読書でした。

 
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最終更新日  2020.11.19 10:19:03
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