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カテゴリ:映画 イタリアの監督
フェデリコ・フェリーニ「8 1/2」元町映画館
最近映画を見ていて、不思議に思うことがあります。最後まで見終わって、結局、何のことかわからないのに、なんだか妙に面白かったりするのは、なぜなんだろうということです。たとえば、上のシーンは、今回見たフェリーニの「8 1/2」で、マストロヤンニが帽子をかぶって風呂に入っているシーンですが、これって何なんでしょうね。 フェデリコ・フェリーニの特集ということで、2020年の10月から11月にかけて、フェリーニの映画を数本見ました。初めて見るものもありましたが、40年ほど前に見たことがあるはずの作品も数本ありました。 大学新聞の編集室にたむろしていた、まあ、後に医者になった友人が 「『8 1/2』見たか?すごいぞ。」 と騒いでいたことを今でも覚えていますが、その頃、初めて見ました。 神戸で地震があったころ、ビデオで映画を見ることに凝った時期もあって、繰り返し見たものもありました。 ボクにとって、「8 1/2」という映画は、そういう映画なのですが、今回も見終わって、やっぱり、何のことかわからないままでしたが、見ていて、妙に「可笑しい」と思ったことを、今回、感じたのか、以前感じたことを思い出したのかわかりませんが、感じながら見ていました。 20代の頃どう思ったのかは忘れましたが、マストロヤンニの扮するグイドという主役の映画監督が「どうしようもないやつ」なのですが、その、自分が「どうしようもないやつ」だということが分かっているグイドの現実と、彼の頭のなかとが分け隔てなく映像化されている様子で、思いっきりハチャメチャな展開だということは記憶の通りでした。 さまざなカメラ・アングルが曲芸のように使われている印象で、そうした工夫に、ある種、フェリーニという監督の「自己言及」的な視線の、何といったらいいのかよくわかりませんが、「奇怪さ」のようなものを感じました。 最後の有名なセリフ「人生はお祭りだ」に対しても、また、そのセリフとともに繰り広げられる、あまりにも有名なダンスのシーンにも、驚きや共感というよりも、やはりうまく言えませんが、あまりにも素朴な内面凝視の「いたいたしさ」ような印象が浮かんできて、むしろ、そのことに驚いてしまいました。 こうした感想は、どうも、ぼく自身の「老化」と関係がありそうですが、この映画には、最終的に「死」への希求が描かれようとしていたのではないか、というのが帰り道で考えたことですが、それもまた、何だか辛い感想でした。 それにしてもフェリーニもマストロヤンニもとっくの昔にこの世の人ではないのですね。2020年の新作でアヌーク・エーメや、フェリーニの映画には出ていませんがカトリーヌ・ドヌーヴが新しい映画に出ているのですから、いやホント「女は強し!」なのでしょうかね(笑)。 監督 フェデリコ・フェリーニ 製作 アンジェロ・リッツォーリ 原案 フェデリコ・フェリーニ エンニオ・フライアーノ 脚本 フェデリコ・フェリーニ トゥリオ・ピネッリ エンニオ・フライアーノ ブルネッロ・ロンディ 撮影 ジャンニ・ディ・ベナンツォ 美術 ピエロ・ゲラルディ 衣装 ピエロ・ゲラルディ 音楽 ニーノ・ロータ キャスト マルチェロ・マストロヤンニ(グイド・アンセルミ) アヌーク・エーメ(ルイザ・アンセルミ) サンドラ・ミーロ(カルラ) クラウディア・カルディナーレ(クラウディア) 1963年・140分・イタリア・フランス合作 原題「Otto e Mezzo」 配給:コピアポア・フィルム 日本初公開:1965年9月26日 2020・11・06元町映画館no64 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.03 23:32:48
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