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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
いしいしんじ「みさきっちょ」(アタシ社)
いしいしんじという、さて、何といえばいいか、小説家(?)、童話作家(?)食うことばっかいってるエッセイスト(?)、しかしまあ、「麦ふみクーツェ」(新潮文庫)、「プラネタリウムのふたご」(新潮文庫)の作家というべきでしょうね 「うなぎのダンス」(河出文庫)、「いしいしんじのごはん日記」(新潮文庫)とかのエッセイもあって、いつか「読書案内」したい作品の山なのですが、ここの所10年ほど忘れていて、先日、図書館で見つけたこの本でよみがえってきました。 なにげなくというか、新刊の棚にあったからというか、「おや、いしいしんじだ」とは思ったものの、「『アタシ社』ってなんやねん?!」という感じで、借り出して、読み始めて「あわわ!」でした。 三崎に引っ越してきた出版社「アタシ社」から、新刊を出すことが決まった。編集者のミネさんと、三崎のひとにまず読んでもらえるような本にしよう、と、京都で、三崎で、でろんでろんに酔っぱらいながら話した。 「#23 いつも帰ってくる」という、まあ普通なら「あとがき」とでもいいそうな最終章で、こんなふうに、この本の誕生秘話が語られています。 ぼくは長谷川義史という、絵本と「南河内万歳一座」のポスターでおなじみの絵描きと、作家がコラボして、「みさきっちょ」という主人公が活躍する、子供向けの「童話」だろううと思って読み始めたのですが、ちょっと違いました。 「麦ふみクーツェ」の作家が神奈川県の三浦半島の先端にある三崎という港町で暮らした数年間を「みさきっちょ」、三崎の人たちを主人公にして描いた「大人の童話」でした。 その上、この作品は、いしいしんじのもう一つの作品「港 モンテビデオ」(河出書房新社)の誕生秘話でもあり、「みさきっちょ」の代表ともいうべき魚屋「ノブさん」に対する、胸に迫る追悼の作品でもあって、そのあたりに「大人の童話」を感じたのです。 もうひとつの読みどころは、三崎を訪ねてくる人たちとの逸話でした。「海からの風」という章などはいしいしんじの交友録というおもむきで、新潮社の編集者やクラムボンの原田郁子、写真家の川内倫子たちとの出会いと、お付き合いが書かれていますが、その中に、同じ写真家の鬼海弘雄の名前が出てきたときには、心がおどりました。 「PERSONA」に収まっている写真には、「かなしみ」と「笑い」が同居している。あっさりいってしまえばそこに「人間がいる」。見知らぬひとたちのはずなのに無性に愛おしい。みんな鬼海さんのカメラという船に乗って、遠い海、世界の果てから帰りついたばかりのような、気高い、誇りに満ちた顔をしている。鬼海弘雄の写真集「PERSONA」評ですね。鬼海弘雄といしいしんじとの出会いの話は、ほんの2・3ページなのですが、読ませます。 見開きで最初にデーンとこんな絵が載っています。まあ、この本の「あわわ」で忘れてならないのが長谷川義史の挿絵と、スケッチですね。 ぼくはこの画家が好きですが、三崎のスケッチも巻末にスケッチ集として収められています。お好きな人は手に取ってご覧になっていただきたいものです。なかなか贅沢な「あわわ」本でしたよ。 追記2021・01・09 ぼくはブログの記事をツイッターに掲載しています。まあ、お一人でも多くの人の目にふれて読んでいただければいいなあという気持ちでやっていることなのですが、先日びっくりすることが起こりました。 この「みさきっちょ」という本の案内に、作家の「いしいしんじ」さんから直接コメントをいただいたのです。内容はこんな感じでした。 ありがとうございます。書いたものです。「みさきっちょ」は、「三崎」の「先っちょ」という意味の造語なのです。そこに住んでいるだけで日々物語が降りかかってきました。おさない頃、北原白秋に手を引かれたおばあさんとか、団鬼六にお好み焼きをほめられたご主人とか。 嬉しかったですね。ぼくが人名として読んでいた「みさきっちょ」という言葉は「物語」が生まれる「場所」そのものだったのです。読み損じというふうには思いませんが、いしいしんじさんの造語だというご本人からのご指摘です。 「ワクワク、ドキドキ、ああ、こういうこともあるんだなあ~。」 いしいしんじさんという作家の誠実さを実感するうれしい出来事でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.09 12:42:56
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