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カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
山田航・穂村弘「世界中が夕焼け」(新潮社)(その1)
高橋源一郎の「日本文学盛衰史」(講談社文庫)という作品を読んでいると、作中の石川啄木の短歌というのが出てきますが、実際の啄木の短歌ではありません。偽作ですね。小説の登場人物としての石川啄木の作品として作られた短歌なのですが、作中の作品を「偽作」したのが現代歌人の穂村弘だと、註に書かれているのですが、そうなると興味は移りますよね。 そういうわけで、穂村弘の歌集やエッセイ集を探していて見つけたのがこのがこの本です。 山田航・穂村弘「世界中が夕焼け」(新潮社) 山田航という人は若い歌人らしいのですが、実は、作品も著作も知らないのですが、その山田航という人が、穂村弘の短歌を読んで感想というか、解釈というかを書いて、それを作者である穂村弘が読んだうえで、リアクションしているという構成の本です。 で、50首の、実際は解釈のための引用歌がありますから、もっと多いのですが、章立てとしては50首の短歌が取り上げられています。 終バスに二人は眠る紫の〈降りますランプ〉にとりかこまれて 開巻、第1首がこの歌です。山田航の文章は、まず、この歌が相聞歌であることを指摘し、〈降りますランプ〉という造語に対する批評があって、歌を包む「色」についてこんな指摘が加えられています。 「紫の」にはおそらくこの万葉集のイメージが書けてある。 なるほど、そういうイメージの広がりで読むのかと感心しながらページを繰ると、穂村弘自身の解説があります。 この歌は「降りますランプ」っていう造語がポイントになっているんですが、山田さんが書いていらっしゃる通り、本当は「止まりますボタン」ますボタンなんですよね、現実のバスでは。本来は不自然な造語なんです。引用が長くなりましたが(改行とゴチックは引用者によるものです)、作者自身の解説ですね。こういう調子で、穂村弘の、現在のところの代表歌でしょうね、50首の歌をめぐって二人のやりとりが交互に載せられています。 実は、1首ずつ取り上げて、プロの歌人が読んだ解釈と鑑賞が率直に述べられている本というのは、ありそうで、そうありません。斎藤茂吉のような人の場合は、後の歌人たちによって1首ずつの解釈と鑑賞が、1冊の本にまとめられたりしていますが、それでも、作者自身の感想や自作の意図が述べられているのがセットになっている本には出会ったことがありません。 この本には、現代短歌という文芸を読むという経験としても、「蒙を啓く」というべき指摘も随所にあります。穂村弘という歌人の作品に興味をお持ちの方にとどまらず、現代短歌を読むことを勉強したいと思っている人にはお薦めかもしれませんね。 自分がそういう仕事だったから思うのかもしれませんが、高校とかで短歌を取り上げて授業とかをしようとか考えている人には、なかなかな本ですね。 長くなりますので、とりあえず、本書の「案内」1回目ということで、2回目は、探していた「日本文学盛衰史」の作中歌について、案内したいと思います。それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.24 23:40:43
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