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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
桜木武史(文)・武田一義(まんが)「シリアの戦場で友だちが死んだ」(ポプラ社)
ここの所、マンガ家の武田一義の「ペリリュー」という戦争マンガに感心していています。彼は1975年生まれだそうですから、現在45歳だと思いますが、太平洋戦争も戦後復興も知らない年齢の作者が描く戦場の世界が、なぜこんなに「リアル」だと感じるのかというのが、ぼくが、このところ考えていることなのですが、その「答え」のヒントになるかもしれない本と出合いました。 それは武田一義が「マンガ」でフォローしている、現代の戦場からの報告書で、桜木武史という「ジャーナリスト」によって、子供たちに贈られた戦場ドキュメンタリー、「シリアの戦場で友達が死んだ」(ポプラ社)という本です。 市民図書館の新刊の棚で見つけたのですが、あの「ペリリュ-」の「田丸1等兵」が焦った顔でカメラを構えている姿が、表紙を飾っていなければ、ぼくはこの本を手に取らなかったような気がします。 桜木武史というジャーナリストは1978年生まれで、武田一義より、もっと若い人なのですが、この本は大学を出たばかりの桜木さんが、ぼくから見れば「興味本位」としか言いようのない動機で、インドの紛争地帯、カシミールに取材に入り、銃弾を被弾し顎を打ち砕かれるという重傷を負うエピソードから書き始められています。 それは、著者自身も、おそらく自覚して書かれていることだと思いますが、65歳を過ぎた老人の読者から見れば「無謀」というしかないありさまで、「もう、そんなところに行ってはいけませんよ!」と言いたくなる出来事の記録なのですが、この素人ジャーナリストは「何故またそこに行くのか」という問いの答えを探すかのように、今度は三つ巴、四つ巴の乱戦状態で、危険極まりない「シリア」に出かけてしまうのです。 戦争をするということは、そこで暮らす人々から「日常」を奪うことだと思う。 シリアから一旦帰国し、再び取材に出かけようと考えた時の「こたえ」です。この文章に、ぼくが、はっとしたのは、そこに「日常」という言葉を見つけたからです。 現地でぼくの瞳に映るものは、生きた証を残そうと必死でもがいている人たちだった。かれらは尊厳を失うことなく、命がけでここに自分がいることをうったえかけ、それを誰かに見てほしいと強烈に願っていた。ぼくはそんな人々を記録として残し、報道したいと思った。 桜木武史という人は、本物のジャーナリストになるための「こたえ」を見つけたようですね。「ペリリュー」を描くにあたって武田一義が、残された資料の中に見つけたものを、桜木武史は命懸けの戦場に身を晒して見つけたのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.21 13:42:28
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