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カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
穂村弘対談集「どうして書くの?」(筑摩書房)
歌人の穂村弘が7人の表現者、まあ、たいていは作家と対談しています。お相手は「高橋源一郎」、「長島有」、「中島たいこ」、「一青窈」、「竹西寛子」、「山崎ナオコーラ」、「川上弘美」ですが、作家の高橋源一郎とは二度出会っています。 読む人によって「読みどころ」は変わるのでしょうが、ぼくには高橋源一郎との二度にわたる対談が面白かったですね。 穂村弘は高橋源一郎の「日本文学盛衰史」(講談社文庫)という作品で、石川啄木役を演じた歌人ですが、「明治から遠く離れて」という一つ目の対談はそのあたりから始まって、行きついた先の宮沢賢治をめぐる会話が出色です。 穂村 後半の引用は、高橋源一郎の部分だけになりましたが、まあ、そういう事です。ぼく自身、学生時代に宮沢賢治を読み始めたわけですが、世間一般の評判のよさについていけないにも関わらず、やめられない作家というか、詩人なわけで、皆さん褒めてばかりいて、悪口については黙っていらっしゃるのですが、高橋源一郎と穂村弘の言っていることって、どこか、ホッとしませんか? 二度目の出会いは「言葉の敗戦処理とは」と題されているのですが、穂村弘の「短歌の友人」(河出文庫)という評論をネタに対談が始まります。 小説にしろ短歌にしろ、表現者である二人の、2010年代の「現在」という「歴史性」がかなり突き詰められていて、スリリングです。近代150年の文学の歴史の中で、近代文学的な「言葉」が敗北した、今、現在に表現者は立っているのではないかという、仮説といえば仮説なのでしょうが、かなり本気な問題意識で語られています。モダンは終わったからポストモダンだという、80年代の流行りの話とはまあ、関係がないわけではないのですが、少し違います。そのあたりは読んでいただくほかありませんね。 本当は、この対談集の紹介は、竹西寛子との対談中に穂村弘が、おもわず(?)洩らしている表現者の本音について紹介するつもりでしたが、引用の成り行き上こっちの紹介で終ります。 「どうして書くの?」という書名の本なのですが、穂村弘という歌人が、真摯に「どうして」を突き詰めながら話しているところが面白い本だと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.02 15:13:15
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