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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
武田砂鉄「わかりやすさの罪」(朝日新聞社)
武田砂鉄が怒っています。いろいろ怒っていることをまとめると、これだけの分厚さになるだけの「怒り」があることが、なかなかすごいというか、「お元気である!」ということなのですが、ぼくは、この「お元気」な武田砂鉄が、結構、好きです。 題を見れば予想がつきますが、彼は「わかりやすい」という言葉が充満している、我々の社会の欺瞞に「怒って」いらっしゃるわけで、一つ一つ取り上げてあれこれ言うのは、ちょっと難しいですね。 で、「『コード』にすがる」の章にあるこんな話題を引用してみます。 要素を絞れ、そして、その要素を厳選せよ。その少数のトピックの種類とは、まず、「読者をひきつける大きなトピック」があり、「2番目以降のトピックは現状を脅かすような衝突wp示すものがいい」。実際に売れている例として「子どもと銃、信仰とセックス、愛とヴァンパイア」などがあげられる。 ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ「ベストセラーコード」(日経BP社)という本のベストセラー分析をに対しての発言のごく一部ですが、問題はこういう「ベストセラーコード」というような本の指摘が学問的分析の報告ではなくて、たとえば「小説を書いている人」に対する提言になっていて、それが、実行されているということです。 「恋愛観って人によって違うから、あまり偏らないようにしている。いろんな人に意見を聞いて、平均値を見つける。それを歌にした方が共感を得やすい。恋愛ソングじゃなくても同じことをしている。自分のこだわりに固執するより、いい歌になる方がいい」(西野カナ) 「ゼストセラーコード」の指摘、そのままという印象ですね。ぼくは知らない人ですが、西野カナというポップ・シンガーの言葉だそうです。これを引用しながら、武田砂鉄による最終的な現状分析のまとめはこうです。 魅力的なフレーズを連鎖させて、短縮する、圧縮する、密集させる。 ここだけお読みになってもわかりにくいかと思いますが、西野カナという人が使い、武田砂鉄もまとめの中で使っている「共感」が曲者ですね。 そのあたりを武田砂鉄はこうまとめています。 「その人ならでは」の生まれ方って、慎重に模索されるべきものであるはずが、今ではそれをあきらめた産物が浸透し、受容してくれる人たちに寄り添うように言葉が選ばれている。「コード」が頒布され、その「コード」に基づいて書く。没個性をベタに変換する手続きをさっさと終え、多くの人に通用するものを提供しましょうよ、という圧が強くなってくる。どんなことでも、意味のある者の裏側に、意味のないように見えるものが大量に控えているはずなのだが、その無意味かもしれないものを、討議することなしにごみ箱に捨ててしまっている現状がある。 作品を受容する「大衆」の中には、すでに、「コード」化された感動を「共感」させる構造がまずあって、大衆的に共有されている「共感」に共振する歌を歌う。あるいは物語を描く。 それぞれの「私」の中にある「意味のないように見えるもの」は捨て去られ、なぜか「わかりやすい」と「共感」されるメッセージこそが「売れる」社会が出来上がっているというわけです。 世間の「わかりやすさ」について、世間そのものに関心を失いつつある老人はあれこれ言われても、よく知らないということになるわけですが、ここのところ所通い始めた映画館でかかる「日本映画」や、30年来読み続けている芥川賞とか直木賞とかの小説と呼ばれる表現行為にも、武田砂鉄がこの本で指摘する、まあ、ぼく的にまとめれば、スタンプ化された「共感」が充満しているのを感じます。 武田砂鉄の言い方を使うなら、「利便的なコード」を疑うことで、まず自分自身の「いいね!」中毒から足を洗うことが肝要ということでしょね。 それにしても、「しっかり怒り続けてくださいよ武田さん!」という読後感でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.04.26 00:20:13
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