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計見一雄「戦争する脳」(平凡社新書) 著者の計見一雄(けんみ かずお)という人は、裏表紙の紹介によれば1939年の生まれで、1980年代から精神科救急医療の確立に尽力した精神科医のようです。だれにも媚びないで、まっすぐに自分の意見を書く態度が気に入って、別の著書にも手を出したりして、まあ、あれこれ面白がっていた人なのですが、ネットのニュースで「新幹線の運転士 走行中に運転室離れトイレへ JR東海が処分検討」という記事を見て、この本を思い出しました。
計見一雄(けんみ かずお)「戦争する脳」(平凡社新書)です。 上記の話題は典型的な、いわゆる、「あってはならないこと」の話題なのですが、計見一雄のこの本は「あってはならないことが・・・」と、事が起こってから言い訳する「日本型思考」批判の書といっていいと思います。 「戦争はあってはならない」・「原発事故はあってはならない」・「いじめはあってはならない」。こうやって「あってはならない」ことを並べながら、ふと、世間を思い浮かべてみると、感染がこれだけ広がっても、「コロナの蔓延」は、そもそも、あってはならない現象だったようだし、どうも「ワクチンの接種遅れ」も「副作用」も、「オリンピックの中止」だか「再延期」だかも、あってはならない事態だと考えられているようなご時世で、「ほぼ、自動運転に違いない新幹線の無人運転ぐらいで騒ぐなよ」と、いい加減なことを言い出してしまいそうでしたが、計見一雄が「あってはならない」という言葉の使い方について、ナルホドそうだねという批判を、面倒がらずに展開していたことを思い出しました。 学校でのいじめ、自殺。「あってはならない」ことが起きました。命の大切さを教育しましょう。児童の動揺がはなはだしいので、カウンセラーを導入します。まことに申しわけありませんでした、で終わる。「本校ではかかる事態を根絶することを誓います」とは、絶対に言わない。 と、まあ、ありがちなシーンを取り上げて、これを、こんなふうに批判しています。 (この言い方だと)「あってはならない」というのは「存在してはならない」としかとれない。 要するに「あったらどうするか?」という発想がないことに対する批判ですが、「精神科救急医療」の現場で実践してきた人として、実にまっとうな批判ですね。 「オリンピックが出来なかったらどうするか?」とか、「原子力発電所が事故を起こしたらどうするか?」っていうことが、実は考えられていないのではないか、という私たちの社会の現実を言い当てているのではないでしょうか。例えば、新幹線に限らないと思うのですが、ひとりで運転席いる、電車の運転手の話の場合なら「おなかが痛くなったらどうするか」ということについて、ならないための「リスク・マネージメント」とかは、やたら吹きこまれている感じがしますが、なったらどうするのかという「ダメージ・コントロール」は、案外、ないがしろにされているのではないのかと感じますね。 本書は「戦争」をめぐっての「ダメージ・コントロール」が話題のメインの論説ですが、昨今の風潮や、きっと叱られるに違いない運転手のことを思い浮かべていて、もう一つ思い出したのが、こんな記述でした。 「兵士は肉体を持つ」という事実―食い物と便所が大事 いかに愚かしい「観念」であれ、政治家やマスコミによって煽られ、「同調圧力」とかを笠に着て拡がり始めたときに、おろそかにされる個々の人間の「肉体性」について、目をそらしている自分がいないか、心して世間と向き合う必要を痛感する時代が、やってきているようですね。 いやはや、昭和の軍隊に蔓延した「必ず勝つ」というウィッシュフル・シンキングがそこらじゅうを覆いつくそうとしているようにぼくには見えますが、いかがでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.04 00:45:15
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