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笠井潔「吉本隆明と連合赤軍事件」(吉本隆明全集24月報25・晶文社)
市民図書館の新入荷の棚に発見して、「オオー24巻まで来ましたか!」という気分で手に取った「吉本隆明全集24」(晶文社)の月報に作家の笠井潔が書いている文章が、67歳の誕生日にふさわしい衝撃でした。 この投稿を読んでくれる人たちの多くには、たぶん、理解不能な感慨だと思います。でも、まあ、今日が経なので書きます。 笠井潔は、「八・一五に際してゲリラ的に徹底抗戦することも、敗戦革命に立つこともない日本人について」、「千数百年前の日本民衆の『総敗北』と、その後のグラフト国家について」、「六〇年安保で街頭にあふれ出した膨大な大衆を戦後社会が鬱積させた疎外感の流出としてとらえたことについて」の、三点において、自らは吉本隆明の発想を後継するものだと前置きしたうえで、吉本隆明が「連合赤軍事件」に対してとった態度をこんなふうに総括し、以下のように論を結んでいます。 連合赤軍の弱さと愚かさを高みから非難し愚弄すればするほど、それは生き延びた戦中派の一員に他ならないおのれに戻ってくる。だから吉本氏の無意識は連合赤軍を「否認」した、するしかなかったのではないか。 ちょっと注釈的に言いますが、論の中で使われている「否認」という用語は、フロイトが、たとえば幼児が叱られるのを怖がって、濡れたパンツのまま、「お漏らしをしていない」と主張し、そのことを信じ込むというような、心性をいいますが、吉本隆明の戦後社会論が、最初に遭遇した落とし穴として出会った事件という、笠井潔の判断が書かれていると思います。それは笠井自身が吉本隆明を揶揄しているというような話ではありません。彼自身とっても大事件であったことは「テロルの現象学」(ちくま学芸文庫)という評論に如実だと思いますが、ぼくの衝撃は、そこではありませんでした。 二つ目の注釈です。本文中の埴谷・吉本論争というのは、連合赤軍事件が露呈した「戦後」という社会の終焉から、ほぼ10年後、コム・デ・ギャルソンの川久保玲の服を着て写真に写って雑誌に登場した吉本隆明を「死霊」の作家、埴谷雄高が批判したことから始まった事件です。 三つ目、「グラフト」というのは「接ぎ木」のことですね。たとえば、日本の古代に「倭国」から「大和」と変化する呼び名、大和朝廷とそれ以前の群小国家群との関係で用いられる用語に「グラフト国家」という語があります。マア、そういう意味合いで使われていると思います。 引用文は、大雑把に言えば、吉本隆明の思想の射程が述べられているわけですが、で、笠井潔はこう結んでいます。 それから40年後の現在、吉本氏からの三つの引用を原点とした思考では及ばない地点まで達しているようだ。 20代に出会い、以来、一つの指標として「吉本隆明」を読み続けてきて、67歳の誕生日を迎えた日にウロウロ図書館にやってきた人間が、ここにいます。その男の「時間」と、偶然、手に取った本の「月報」で一人の作家が指摘する40年という「時間」は、ぴたりと重なります。ぼくが衝撃を受けたのはこのことでした。 年を取れば、やがて、わかるようになると思って本を読んできました。その思想家を知って半世紀、後生大事に読み続けてきました。で、その思想家の終焉が語られてる文章に、偶然とはいえ、誕生日に出会ったのです。語っている人が、どうでもいい人ならいいんです。でも、笠井潔でしょう。 こんなふうに、ある時代の終わりについて、のんびりと語っている笠井潔という人が、ぼくにとって、どういう書き手であるのかというのは、ぼく自身の思い込みかもしれません。 が、たとえば「哲学者の密室」の作家であり、「テロルの現象学」の評論家であるというだけでも、ぼくにとっては、まあ、大したことなのです。 よりによって、今日、こういう文章に出会うとはねえ。しかし、まあ、本を読むということは、そういうことなんでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.19 01:22:02
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