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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2021.06.21
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​内山節「戦後思想の旅から 内山節著作集8」(農文協)​​​​​ 哲学者の内山節の著作集を気が向くままに読み散らしています。今回の「著作集」は第8巻1989年から、ほぼ二年間にわたって信濃毎日新聞に連載された文章がまとめられた「戦後思想の旅から」という評論がメインです。ほかに「日本の伝統的な自然観について」「合理的思想の動揺」という短めのエッセイも収められています。​​​​
​ ぼちぼちですが、内山節を読み続けているのは、要するに、ぼく自身の60年間を振り返りたいという、まあ、老人的なカイコ趣味によるところが多いのですが、はっとする記述も多く、何も考えずに、その場その場に身を任せて暮らしていたことに気づかされたりもします。​
 たとえば、あの頃から現在までに何があったのかということについて、それはそれで、きちんと知りたいと思わせるこういう文章に出会うと、ちょっと楽しいわけです。
 戦後の日本の労働の思想は、時代ごとに三つのキーワードを持っていたのだと私は思う。敗戦から1950年代までは、搾取という言葉が労働を考える上での一番重要な役割を果たしていた。労働者は資本家に搾取されているという表現は、生活の困窮からの脱出を願う労働者たちの気持ちを説明する表現でもあったのだと私は思う。
 それが1960年代に入ると、搾取という言葉よりも労働の疎外という言葉の方が大きな役割を果たすようになった。ルフランや中岡を嘆かせたように、技術革新がすすむにつれて、労働者には自分の労働が何かをつくりだしているという感覚が薄れてきていた。自分の労働は機械に使われているだけなのではないか、企業の利潤を高めるために使われているだけではないのか、というような問いかけがどこからともなくひろがってくる。
​​​ しかしそれで終わったわけではなかったのだと私は思う。というのは1980年代に入ると、疲れという言葉が私たちを支配しはじめるからである。現代の労働が生み出す疲れ、ここにはよく言われるように日本の労働者の労働時間が長いということもあるだろう。だがそれだけではないはずだ。別に労働時間が長くなったわけでも、ノルマがきつくなったわけでも、機械化がすすんだわけでもないような職場でも、そこで働いている人々は強く疲れを感じるようになったのだから。
「戦後思想の旅から 第4章 ​新しい思想を求めて」)

註:中岡哲郎「技術史​」:ジョルジュ・ルフラン「労働社会学」​​
​ ​​​​​​​内山節の観点によれば、1950年代は経済学用語の「搾取」という言葉でとらえられた、労働概念が、「疎外」という哲学の言葉にはっきり変わるのが1970年代。1980年を過ぎると「疲れ」という感覚用語で語られるようになるということですが、1980年代に働き始めた人間には、「搾取」「疎外」も、実際には、何の解決にも至らないまま、ただ、ただ、「疲れ」が蔓延していくのが労働現場というわけだったことを思い浮かんできます。今から40数年前の記憶です。​​​​​​​
​ このエッセイは80年代から90年代にかけ執筆されているわけで、2000年を超えたあたりから、あきらかに「疲れ」「次の段階」に入ったはずなのですが、そこからはどうなったのかというのが、読みながら感じた疑問ですね。​
 変なことをいいますが、たとえば、「疲れ」が蔓延する日常を、突如、破壊した1995年の震災は、当然ですが、労働現場のルーティーンも破壊しましたが、「疲れ」の感覚を忘れさせる出来事でもありました。しばらく続いた非日常の興奮は、震災ハイとも呼ばれましたが、印象的な記憶として焼き付いています。
 働くことに倦んでいた40代の自分には、ある種のショック療法だったようで、それ以後、明らかに「仕事に対する感じ方」が変化した出来事だったと思います。しかし、社会全体が、震災の「現場」を経験したわけではないということや、同じ感覚を共有したわけではないということを、数年後の郊外の職場への転勤で思い知りもしました。
​​​​ 内山節の文章を読みながら、あくまでも個人的な回想や感慨をさまよっているわけですが、それにしても、ここ20年、「搾取」「疎外」といった労働思想の経済学的、哲学的基礎概念がきれいに忘れ去られ、ひょっとしたら「疲れ」という感覚も当たり前の付帯事項のように当然視されているかに見える「働くこと」の現在の意味はどこへ行ってしまったかのか。​​​​
​ まあ、最近の、おそらく70歳を超えたに違いない内山節がどんなことを言っているのかというあたりから読んでみたいと思っています。

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最終更新日  2021.06.21 09:23:32
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