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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2021.07.13
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​​​​​​ 白井聡「主権者のいない国」(講談社)​​
​​ 最近、あんまり時事的な評論を読む機会が少ないのですが、なんだかよく読まれているらしい白井聡さん「主権者のいない国」(講談社)を読みました。​​
​​ 「未完のレーニン」(講談社メチエ)で興味をもって、「永続敗戦論」(太田出版)「なるほどそうですか」と納得したのですが、むきになる口調が苦手で、敬して遠ざけていました。
 ところが世間では、なんというか、ぼくが読まないうちに「歯に衣着せない論客」として評判をとる、ということになっているらしくて、それなら、久しぶりに、という気分で、2021年3月に出版されてすぐ、市民図書館に予約しましたが、借り出せたのは先週で、来週には返却を迫られている人気ぶりで、まず、そのことに驚きました。​​

 読み終えて、「時事」に対して、もう、あほらしくてついていけないという気分で、関心を失っていることについて、正座させられて叱られている気分させられましたが、それはそれで、結構面白い体験でした。
「白井先生のおっしゃっていることについては、ほぼ、異論はありません。でも、まあ、国なんて滅ぶなら滅べばいいやという気分もあるし、直接の戦争こそ知りませんが、地震とか津波とか、原発のメルトダウンとか、想像を絶した出来事も、それなりに体験しました。トランプとかアベ某とかの、まさかのふるまいも目にしました。こうなったらゴジラ出現も悪くないなという気分なんですよね。」
​​ まあ、そんなことを言ってしまうと、終わってしまいますから、少し案内しますね。「主権のいない国」という題なのですが、直接「主権」を論じた文章はありませんでした。個々の時事をネタにしながら「主権者」の空洞化が進行している現状の危機感が、白井さんらしい、ちょっとファナティックな口調でアジられているという感じです。​​
 主権というものを社会や国家の責任主体と考えるというのが全体の論旨の進行のようです。前書きのような出だしの文章にこんな描写があります。
 2011年福島第1原発の事故を話題にしている話です。
 三月十三日昼過ぎの時点で原子炉に注入する淡水がなくなり、吉田昌郎福島第一原発所長は、海水を注入するほかないと報告した。その直後の東電本社と現場とのテレビ会議の模様が後に報道されるが、そこで東電幹部から発せられたことは耳を疑わせるものだった。
「いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべくねばって真水を待つという選択肢もあるというふうに理解して良いでしょうか」
 この幹部が懸念したのは、海水を注入された原子炉が使用不能になることだった。
(中略)

 危機を適切に認知できない人々には、同時に責任感もモラルもない。ただひたすら空っぽである人たちからなる集団が、この国の「選良」として君臨してきた挙句に、あの事故を起こした。なぜ、日本はこんな国でしかないのか、こんな社会でしかないのか。
​ 引用文の問いは、白井さんの本書を通じた問いです。で、「あとがき」にあたる第6章、最終章で、こんなふうに、再提起しています。
 ​なぜ私たちは、私たちの政府はどうせろくでもないと思っているのか。その一方で、なぜ私たちは、決して主権者であろうとしないのか。この二つの現象は、相互補完的なものであるように思われる。私たちが決して主権者でないならば、政府がロクでもない者であっても、私たちには何の責任もない。あるいは逆に、政府はつねにロクでもないので、私たちに責任を負わせようとはしない。
 だが、責任とは何か。それは誰かに与えてもらうものなのか。そして、ここでいう責任とは誰に対するものなのか。それは究極的に自分の人生・生活・生命に対する責任である。自分の人生を生きようとしないこと、自己からの逃避、一種の究極の自己喪失―本書でさまざまに論じてきた「否認」や「社会の喪失」において主体に生じているのは、こうしたことがらではないか。
 他方で、日本人の強固な政治不信、国家不信は、無意識的な歴史記憶によって支えられているのだと思う。あの戦争のとき、国家は何をやったか?迫り来る都市空襲を目前にして「都市から逃げるな」と命じて住民を閉じ込め、蒸し焼きにした。「精鋭」関東軍は、満州移民を見捨てて一目散に逃げ去った。戦後の時代も同じことだ。水俣病が発生した時、国家・企業・大学の御用学者は、鉄壁のスクラムを組んで被害の原因を否認した。同じことが、福島第一原発の事故に際しても起きるだろうと疑われるのは当然のことだ。土壇場において、この国の権力は、虐げられた者を救おうとしないし、自ら過ちを進んで認めることは決してなかった。
 ゆえに、日本人の根底的な政治不信は、ある意味で全く正しい。しかし、そのような政府しか私たちが持っていないこと。持たなかったことの責は、誰にあるのか?アメリカか?中国か?どこを探しても見つかるはずがない。
            (終章 なぜ私たちは主権者であろうとしないのか)

​​ 「そんなニホンに誰がした?」という、「永続敗戦論」以来、本書のなかでも響き続けている「問い」が、読者に向けてもう一度投げかけられていると、ぼくは読みました。「問い」を投げかけている白井さんの、自分はわかっていて生徒をいたぶっているわけではない「誠実」を疑う気は毛頭ありません。しかし、彼の「問い」には、どこか「国家」がクローズアップされるのですね。​そこが、「ほぼ」賛成という言い方にになった理由ですね。​​​
 現実社会を論じると、そうならざるを得ない事情は分かるのですが、そうはならない論旨はあり得ないのか、そんなふうな気分が、やはり残るのはしようがないですね。
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最終更新日  2021.07.13 00:30:24
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