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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2021.08.08
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​​​​斎藤道雄「治りませんように べてるの家のいま」(みすず書房)​​
 「悩む力」(みすず書房)を読み、ここで案内しました。で、続けて、同じ著者​斎藤道雄​「治りませんように」(みすず書房)を読みました。​​

 「悩む力」が出版されたのが2002年、この本が出たのが2010年です。この本では、北海道浦河のベてるの家の人たちの、「悩む力」からの、ほぼ十年の姿が報告されています。
​ 本を開いて、最初の章の題は「記憶」でした。​
 かつて、ハンガリー東部のユダヤ人村に暮らしていた六人の裕福な家族は、少年ひとりを残し全員が煙突の煙と消えていった。一九四五年、解放されたとき十五歳になっていた少年は、自分だけが消えた家族の証であり、自分だけが家族の過酷な運命を記憶すべく、この世に残された存在だったことを知る。
 立ち上る煙の記憶のもとで、少年はひとりつぶやくのだった。
「お父さん、お母さん、みんな、心配しないでください」
煙になった家族に、そして生き残った自分に、少年は語りかけている。
「ぼくは幸福になったりしませんから。けっしてしあわせになることはありませんから」
 ホロコーストを生きのびた少年は、自分だけが幸福になる、とはいわなかった。しあわせにならないといったのである。そうすることで、失われたものの記憶を自らの生につなぎとめたのだった。
 しあわせにならない。
 あなた方を忘れないために。あなた方の死を生きるために。そしてあなた方に対して開かれているために。
 この思いが、やがて時を超え、二つの大陸を超えてゆく。
 そして、もう一人の若者のこころにこだまする。
 アウシュビッツもホロコーストも知らないもう一人の若者は、「幸せにならない」生き方を自らの生き方とし、過疎の町に根を下ろすのであった。そこで時代を超え、状況を超えてあらわれる人間の苦悩をみつめながら、苦悩の先にもう一つの世界を見いだそうとしたのである。
​ ​​その次の第2章の題は「死神さん」で、この本の主人公(?)の一人である、「統合失調症」を生きている鈴木真衣さんという方の話に移っていきます。​​
​ この本の面白さ(?)は、鈴木さんをはじめとする、ベてるの家で生きている人たちの「病気を宝にしていく」過程のドキュメントにあると思いますが、最初の章に記されているアウシュビッツの少年の逸話の意味が、ずっと気にかかりながら読みすすめました。
​ 気がかりを解く答えは、200ページを超えて読みすすめてきてたどりついた「しあわせにならない」と題された最終章にありました。​
 この章は、著者の斎藤道雄さんベてるの家を支えてきた、精神科のソーシャルワーカーである向谷地生良さんや彼の家族と昼食を共にした時の逸話から書きすすめられています。
 覚えていますか。ぼくが浦河に行きはじめてまもなく、1998年にインタビューしたときに向谷地さんから聞いたことですが、こういう話をしてくれましたね。ユダヤ人の作家のエリ・ヴィーゼルの本を読んだことがあると。その本のなかに出てくる場面です。アウシュビッツの生き残りの少年がいて、家族はみんな収容所で死んでしまったけれど、ひとり生きのびて収容所を訪れ、こういったという話です。
「お父さん、お母さん、みんな、心配しないでください。ぼくはけっしてしあわせになることはありませんから。」
 この話、覚えていますか。
 もちろん。
 と向谷地さんはうなずいた。横に座っていた宣明さんも、ああその話、聞いたことがあるという。

 あの話ですが、ヴィーゼルのなんという本に載っていましたか?
 「夜」だったかなあ。
 それが、ないんですよ。
(註:
宣明さんは向谷地さんのご子息)
​​​​​​ エリ・​​ヴィーゼルという作家の「夜」三部作をくまなく探した斎藤さんが、向谷地さんは、おそらくこのシーンを読んで立ち止まったに違いないと発見した記述の部分が本書に引用されています。​​​​​​​
 この夜のことを。私の人生をば、七重に閂をかけた長い一夜えてしまった、収容所でのこの最初の夜のことを、決して私は忘れないであろう。
 この煙のことを、決して私は忘れないであろう。
 子どもたちの身体が、押し黙った蒼穹のもとで。渦巻きに転形して立ち上ってゆくのを私は見たのであったが、その子供たちの幾つもの小さな顔のことを、けっして私は忘れないであろう。
 私の〈信仰〉を永久に焼き尽くしてしまったこれらの焔のことを、けっして私は忘れないであろう。
 生きていこうという欲求を永久に私から奪ってしまった、この夜の静けさのことを、けっして私は忘れないであろう。​(「夜」エリ・ヴィーゼル著・村上光彦訳・みすず書房・1967)​
 ご覧の通りヴィーゼルの文章の中では、少年はつぶやかないのです。
 では、誰が、なぜ「しあわせにならない」とつぶやいたのでしょう。それがベてるの家に通い続けた斎藤さん問いでした。
​ 斎藤さんが浦河に通い始めて間もなくの頃、ソーシャルワーカーの向谷地さんがインタビューに答えた、あの時の話に出てきた、「しあわせにならない」とつぶやいた少年向谷地さん自身だったのではなかったか?
 斎藤さんは、直接問い詰めていく中で、向谷地さん自身の少年時代の体験や「結婚してしあわせになったらどうしよう」と不安だったという人柄を丁寧に記しながら、読者に対しては、こんなふうにまとめています。
​「しあわせにならない」という言葉が、少年のものだったか向谷地さんの思いこみだったかは、さほど問題ではない。それより、ヴィーゼルの著作に触発され、「しあわせにならない」ということばを思い、その言葉に強く同化してゆく向谷地さんの姿こそが、私にとっては重要だったのである。それはいかにもベてるの家にふさわしい、苦労の哲学の背景をなす相貌だからだ。​​
​ 斎藤道雄の二冊の著書を読みながら、ずっと考えていたことがあります。それは一言で言えば、
「ぼくはどんな顔をしてこの本を読み終えればいいのだろう。」という問いです。
 で、この最終章を読みながら、ホッとしました。

 ジャーナリスト斎藤道雄自身も、「しあわせにならない」という生き方をする人間たちを前にして、たじろぎながらも、敬意をもって、そして執拗に「わかる」ことに迫ろうとしていたのだと感じたのです。
 「悩む力」にしろ本書にしろ、下手をすればスキャンダラスな見世物記事になりかねないドキュメントなのですが、著者自身の「人間」に対する姿勢が、見ず知らずの人間が手に取り、胸打たれながら読むことを、自然に促す「名著」を作り上げていると思い至ったのでした。

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最終更新日  2021.08.08 10:30:02
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