小田香「あの優しさへ」元町映画館「小田香特集2020」のシリーズで、「ノイズが言うには」と二本立てで見ました。小田香がサラエボの映画学校で学んでいるときに撮った映画だそうです。そうそう、あの、タル・ベーラの映画学校です。
カメラを持っているのは小田香自身です。映っているのは、小田香が出会う人間たちであり、彼女が出会った風景、部屋、そして、二本立てで、一緒に見た「ノイズが言うには」を撮った時の、三脚に乗ったカメラではなく、小田自身が操作している、ハンディ・カメラの映像です。
カメラを持つ人間を、被写体によってドキュメントした映画といっていいのではないでしょうか。ぼくは、そんな風にこの映画を見ました。
一台のカメラではどうしても撮ることができないのは「カメラ」自身です。この映画を撮っている人が、どうしても撮れないのは自分自身の姿です。ならば、どうすればいいのか。
そんなことを小田自身が考え続けて撮っている映画だと思いました。
実は、人間の「眼」も、自分自身を見ることが出来ないわけですが、「自分自身を見ようとするときに、あなたはどうしているのか」、そんな問いを投げかけられていると感じた映画でした。
もう一つ感じたことは、「被写体をカメラの焦点、あるいはカメラを持っている人の『視線』の対象として、抑圧しない映像は可能か?」ということでした。多分、不可能なのですね。でも、そのことを意識して構えられたカメラと、意識せずに操作されたカメラでは、ひょっとしたら違ったものが生まれるのではないか。そういう期待感もありました。
ここから先は、言葉では言えません。小田自身が作品の中で口走る言葉の中に「やさしさ」という言葉があったかもしれません。しかし、その「やさしさ」もまたことばであって、この映画で映しだされている「被写体」、つまり人間や風景を他の方がどんなふうにご覧になったのか、ぼくにはわかりません。
しかし、ぼくには、そこに確固とした「人間」と、人間が見ている「風景」、言葉であれこれ説明する必要のない、まさに「人間」そのものが映っているように見えました。
ぼくは、それを凄いことだと思いました。映像だからではなく、おそらくカメラを構えている小田香の「技術」がそんなふうに撮っていると思うからです。
彼女が口にする「やさしさ」が、どうしてそう見えるかはわかりませんが、技術として映像に定着していると感じました。やはり、これはすごいことだと思いました。
監督・撮影・録音・編集 小田香
2021・03・31-no36元町映画館no83