|
カテゴリ:読書案内「現代の作家」
週刊 読書案内 石沢麻依「貝に続く場所にて」(講談社)
今年の夏の芥川賞は李琴峰(り・ことみ)さんの「彼岸花が咲く島」(文芸春秋社)と石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」(講談社)でした。 お二人とも女性で、李琴峰さんは、作年、「ポラリスが降り注ぐ夜」(筑摩書房)で、新宿の夜の酒場を描いて芸術選奨文部科学大臣新人賞とかを受賞して評判になった作家ですが、今年は芥川賞ゴールインです。拍手!ですね。 石沢麻衣さんは、芸術学、西洋絵画の研究者で、ドイツの大学に留学中の才媛だそうです。で、その才媛が書いたこの作品の出だしはこんな風でした。 人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。記憶を浚って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに水のように崩れてゆく。それでも、断片を集めて輪郭の内側に押し込んで、つぎはぎの肖像を作り出す。その反服は、疼く歯を舌で探る行為と似た臆病な感覚に満ちていた。(P003) いかにも、賢そうな文章です。ただ「記憶」、「肖像」、「臆病な不安」というイメージを「水のように」という直喩でまとめようという雰囲気なのですが、このパラグラフに限っても「水」のイメージでうまくまとめ切れていないために、アンビバレンツな読みにくさを作り出しているというのは、ぼくの謬見でしょうか。 おそらく「水のように崩れる」という表現を、小説の冒頭に持ってきたかったんだろうというのが、勝手な憶測ですが、その憶測は全編読み終えて浮かぶことで、この場面を読む限りでは「水のように崩れる」という表現が、東北の震災と深くつながっていること読み取ることは難しいのではないでしょうか。 作品は、いわゆる「東北震災」をテーマにした「災後小説」というべき佳作だと思います。ただ、ちょっと嫌味を言えば、いかにも才媛らしく「頭の中で考えた世界」をことばをあてはめて描こうとする「硬さ」が目立つ作品だと思いました。 あの三月以来、鳥の視点で街という肖像画を眺めるようになった。 小説が中盤を超えたあたりの引用ですが、「以前の絵をなぞろうとして、再現できずにいる記憶の図」という記述を「頭の中に浮かんできた絵をなぞろうとして」と置き換えると、このパラグラフ全体が、彼女の作品の解説になっているようで面白いのですが、絵画の研究者の絵画論としてとても面白いと思いました。とっつきの悪い作品でしたが、この辺りまで来るとかなり読みやすくなるのも不思議です。 いろいろ、嫌みを言いましたが、実に誠実な自己告白小説というべき作品で、「記憶がしみ込んだ馴染みの深い顔」を探し求め、「時間」を透過することができる方法を探り、幻想小説を思わせるイメージを駆使した努力が芥川賞として評価されたことは、素直に讃えたいと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.26 00:19:26
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「現代の作家」] カテゴリの最新記事
|