|
カテゴリ:読書案内「現代の作家」
週刊 読書案内 尾崎真理子「現代日本の小説」(ちくまプリマー新書) 詩人の谷川俊太郎に対するインタビュー集「詩人なんて呼ばれて」(新潮社)のインタビュアーをしていた尾崎真理子という人が気にかかって手に取った本がこの本でした。
「現代日本の文学」(ちくまプリマー新書)です。 1987年から、本書が出版された2007年の20年間の「現代日本文学」について、感想を交えながら「年表」化、あるいは「文学史」化して、エピソードを紹介解説した著書でした。 著者の尾崎真理子は1959年の生まれで、1992年に読売新聞の文化部に配属され、2020年に退職したときには文化部の次長さんだったようですが、現在は早稲田大学の教授さんのようです。 尾崎さんの「文学史」の肝は「1987年」という年を「終わり」と「始まり」に設定したことだと思います。 本書のプロローグに、1987年とは、二葉亭四迷が本邦初の言文一致体小説「浮雲」を発表してから、ちょうど100年目にあたることを指摘しながら、第1章を「一九八七年、終わりの始まり」と題して、こんなふうに書き出しています。 ここでは四人の人物の紹介を引用します。一人目は「ばなな伝説」の始まりと小見出しをつけてこの方です。 「受賞者は吉本さんの娘らしい」二人目が、今や「世界の村上」、村上春樹の「ノルウェイの森」です。 一九八七年九月十七日。「100パーセントの恋愛小説」。その帯の文章も赤と緑の上・下巻の装丁案も作家自身が手掛けたという、村上春樹(当時38歳)の書き下ろし長編『ノルウェイの森』が全国の書店に平積みでお目見えしたのは、その一週間前、九月十日のことだった。初版は講談社の文芸書としても異例の二十万部。 三人目が、さて、この方は「始まり」を象徴するのか、「終わり」の人なのか。まだ「ノーベル賞」はとっていませんが、デビュー作「奇妙な仕事」を東大新聞に発表したのが1957年です。30年後の大江健三郎です。 翌十月、戦後を生きてきた知識人の精神的自伝ともいうべき書き下ろし長編が発表された。大江健三郎(当時52歳)の『懐かしい年への手紙』。同年末の文芸作品の回顧記事で1987年の収穫として批評家各氏が多く挙げ、今日でも大江の代表作の一つとして名高い。だが、当の大江は、発表当時の忘れられない光景を次のように語るのだ。そして、もう一人、新しく始まったのは「小説」の言葉だけではありませんでした。 五月。前年に短歌の芥川賞ともいわれる第三十二回角川短歌賞を受賞した歌人、俵万智(当時24歳)の『サラダ記念日』が河出書房新社から初版三千部で出版されると、直後から問い合わせが殺到し、ベストセラーリストのトップに躍り出た。 いかがでしょうか、1987年、すごい年だったのですね。世界文学の動向を知りませんから、まあ、日本文学という、範疇に限ればという面はあると思いますが、同時代に30代だった目から見て、なるほどなあと感心しました。 引用箇所が日付で始まっているのは、著者である尾崎さんが、新聞紙上に載った記事の引用で、解説を進めているせいなのですが、ここから20年、実にジャーナリスティックに「新しい文学」と、終わったのかもしれない「古い文学」が対比されて、紹介、解説されていきます。 2000年を超えたあたりに現れる「蹴りたい背中」の綿矢りさと「蛇にピアス」の金原ひとみを次の画期として、IT化、デジタル化が、さらに「新しい文学」の方向性として論じられて「現代日本の小説」史は幕を閉じます。「簡にして要を得た」というべき内容で、同時代を生きてきた人間には、とてもよくできた見取り図でした。 ただ、不思議なことは、この本が「ちくまプリマ―新書」の一冊に入れられたことです。果たして、この本が出版された2007年当時の高校生はこの本を読んだのだろうかということでした。 当時、図書館係だったゴジラ老人には、棚に並べたこの本を手に取った高校生の記憶が全くないのです。「アーカイブ」という言葉が流行りはじめた頃でしたが、「イイネ!」の前に「歴史」が廃れる時代が始まっていたのでしょうか。 本書の帯には、「激変した日本人の感受性」とありますが、ひょっとしたら「ばなな」も「春樹」も過去かもしれないと感じる読後感でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.04 10:22:17
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「現代の作家」] カテゴリの最新記事
|