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カテゴリ:映画 スペイン・ポルトガルの監督
ルイス・ブニュエル「小間使いの日記」元町映画館
「ルイス・ブニュエル監督特集―男と女」で3本目に見たのは「小間使いの日記」です。 よく覚えていませんがミルボーという人の原作が、大昔に角川文庫かなにかで出ていて、途中で挫折したような記憶があります。映画は、題名通り、お屋敷に勤める小間使いの女性が主役でした。1960年代の作品でモノクロでしたが、ジャンヌ・モローという女優さんを、こうやって名前と重ねてみるのは初めてでした。独特の雰囲気のある美しい人でした。 列車の車窓に田舎の風景が写り、やかて停車して、ドアの外の風景は作り物かと思っていたら、ドアが開いて外の風景が写っていたので、ちょっと驚きましたが、次のシーンでは駅舎からトランクを持ってでてきた女性をお屋敷からの出迎えの馭者が待っていて、馭者席に隣り合って座ったふたりがあいさつ代わりに話をしながら馬車に乗って田舎道を進んでいきます。 結果的にいえば、ここまでの映像が、いかにもルイス・ブニュエルでした。見ている、こっちをどこかに連れていく印象で、なかなか、悪くないのです。 まあ、話を続ければ、馭者台の女が新しい小間使いのセレスチーヌ(ジャンヌ・モロー)、馭者の男がジョゼフ(ジョルジュ・ジェレ)で、お屋敷の下男のようです。駅から延々と馬車に揺られ到着したのはモンテイユウ家、老田舎紳士と若夫婦の三人が暮らしているお屋敷でした。 この人は始まって、しばらくして「靴」を抱えて死んでしまいますが、まず、「脚」及び「靴・ブーツ」フェティストの老田舎紳士、のべつ幕なしの性的欲求を行動に移す若主人、旺盛な物欲の割には冷感症気味の、その妻というお屋敷です。 ほかにも、あれこれ事件は起こりますが、屋敷に出入りしていた少女が森で殺されるという話がメインのというか、筋を運ぶお話でした。殺された少女を好いていたセレスチーヌは、文字通り体を張って真犯人を探す探偵になるのですが、そのあたりから映画そのものが焦点を失うというか、「彼女は何故そうするのか?」が、見ているシマクマ君にはわからないまま、結末を迎えます。 なんなんですか、この展開は! 小間使いがやってきたお屋敷をフランス社会の比喩だというふうに見るのであれば、フランスに対する揶揄とかいうレベルではない、もっと厳しい「嘲笑」のようなものが映画全体に漂っている感じするのです。 しかし、少女殺害の犯人として描かれている下男ジョセフの極右的政治行動や、小間使いセレスチーヌが結婚する、元フランス軍大尉の極右ぶりが、映画の終盤に畳みかけてるように描写されるのですが、その描写の中で、その社会に対して、客観的な「眼」として存在していたはずの女主人公の行動そのものが、どこか、脈絡を失っていく結末にはポカンとするほかありませんでした。 ウーン、参りました。 監督 ルイス・ブニュエル 原作 オクターブ・ミルボー 脚本 ルイス・ブニュエル ジャン=クロード・カリエール 撮影 ロジェ・フェルー キャスト ジャンヌ・モロー(小間使いセレスチーヌ) ミシェル・ピッコリ(モンテイユウ氏) ジョルジュ・ジェレ(下男ジョゼフ) フランソワーズ・リュガーニュ ダニエル・イベルネル 1963年・98分・G・フランス・イタリア合作 原題:Le journal d'une femme de chambre 配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム 日本初公開:1966年4月 2022・05・24-no72・元町映画館 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.21 23:54:14
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